風野真知雄の「馬超」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

三国志を彩る英雄の一人、「錦馬超」の渾名で知られる馬超を取り上げた小説。

常に馬超の視点に立って描かれ、余計な記述がないのがいい。もちろん転換期となる重要な事件は書かれているが、要点だけを書き、そちらに脱線することがない。こうした配慮もいい。

また、馬超に関する重要な戦いも焦点が絞られている。まずは、錦馬超の名を知らしめた初陣。ついで、その名を全土に轟かせた戦い。曹操を限りなく追いつめた戦い。妻子を失った戦い。再び曹操を追いつめた戦い。

このように作者が焦点を絞って書いているので、大変読みやすい。

馬超は劉備のもとに行くまでが華だろう。劉備の所に身を寄せてからは、馬超は輝きを失ったイメージがある。

本書でも書かれており、また、他の所でも書かれていることだが、蜀の気候風土や濃密な人間関係があわなかったのではないか。馬超はやはり西域でこそ成立する男だったように思う。

もちろん、蜀に入ってからも、いろいろと逸話があり、例えば、馬超が劉備を呼び捨てにしたため、関羽と張飛が怒ったという記述がある。

これは正史三国志にも書かれているようで、有名な逸話のようだが、この時期、関羽は荊州におり、ついには馬超と対面することはなかった。

これは本書でも書かれ、逸話を上手く引き出しながら馬超を通じてバッサリと斬り捨てている。調べるべき事は調べて書かれている。だが、それをうるさく感じさせることはない。

内容/あらすじ/ネタバレ

馬騰の長男として、熹平五年(一七六)に馬超は生まれた。字は孟起。呉の孫策、周瑜より一つ下、蜀の諸葛孔明より五つ上である。

馬超はあることから羌族の族長の倅を刺してしまった。それがために父・馬騰の怒りを買い、殺されそうになっていた。そこをこの地域で馬騰と同じく勢力を張っている韓遂が助けた。

馬超は韓遂の所で世話になり、刀の扱い方を学んだ。やがてほとぼりも冷め、父・馬騰のもとへ戻った。

初平元年(一九〇)、馬超十四歳。馬騰の所に董卓からの使いが頻繁に来ていた。馬騰は韓遂とともに長安へ行くことにした。今は董卓に応じつつ兵力を調える時期だ。この頃、馬騰は恋をしていた。相手は楊葉という。

馬超十六歳。天下が再び揺れた。董卓が呂布に殺されたのだ。この頃、馬騰は長安で龐悳という若者を部下にしていた。

朝廷内にある陰謀に加担していた馬騰と韓遂。だが、ことは露見して逃げるしかない。数がちがいすぎるのだ。この時馬超十八歳。初陣であった。馬超の活躍は凄まじく、錦馬超といわれるようになった。生涯の渾名である。

この後になり、馬騰と韓遂は仲違いをした。韓遂がくつろいでいるところを急襲したのだが、見事に失敗に終わる。この時に、馬超は母と末弟を失った。韓遂との関係は複雑にこじれてしまった。

建安二年(一九七)。曹操は関中の動向について相談していた。問題は韓遂と馬騰だ。この二人をおとなしくさせるために使者を出した。こじれていた馬騰と韓遂の関係は曹操が間にはいることにより修復された。そして、関中が平和になると、曹操は一気に力を付けていった。

その曹操から馬超を支援に寄こしてくれと名指しで指名してきた。馬超の名を全土に轟かせる汾水の戦いが始まる。

建安十三年(二〇八)、馬超三十二歳。天下の趨勢は曹操のもとに決しようとしていた。だが、思いも寄らぬ事が起きた。曹操の軍が孫権と戦って大敗したというのだ。赤壁の戦いだ。

この戦いから数年後、馬超に接触してきた男がいた。漢中の張衛と名乗った。五斗米道の教祖・張魯の弟だ。

赤壁の戦いからようやく立ち直った曹操は、漢中の張魯征討の軍を動かした。通り道には関中がある。関中の有力者は曹操を通すことを潔しとしなかった。曹操に反旗を翻すことにしたのだ。

曹操がきた。潼関のすぐそこまできている。この戦いで馬超はあと一歩の所まで曹操を追いつめた。本当にあと一歩の所だった。

赤壁の二の舞かと曹操は思った。だが、この窮地に賈詡は馬超と韓遂に離間の計をしかけた。これが見事にはまった。韓遂はやられたと思ったが、すでに馬超は不審を抱いている。両者の関係は破綻した。

すると、曹操にとって相手になるものではなかった。馬超もさんざんに破られ、涼州へ落ちていった。

馬超は冀城を攻めていた。だが、なかなか落城しない。この城に参謀として楊阜という男がいた。ようやくにして落城したあと、馬超は楊阜を参謀として迎えた。だが、この楊阜は心中で復讐の機会を窺っていた。

やがて、期を見て楊阜は馬超に反旗を翻した。この時に、馬超は妻と子を失ってしまう。そして、漢中の張衛のもとに行った。

馬超は漢中にある氐族の所に身を潜めた。ここに劉備からの使者がやってきて、馬超は劉備の所に身を寄せることにした。

曹操が攻めてきて、馬超は斜谷で曹操を待ちかまえた。ここでも馬超はあと一歩の所で曹操を取り逃がした。

やがて、馬超は関羽、張飛、趙雲、黄忠と並んで五虎将軍と呼ばれるようになる。

本書について

風野真知雄
馬超
PHP文庫 約二七五頁
時代:漢末期

目次

第一章 父の野心
第二章 初陣
第三章 宿敵曹操
第四章 潼関の戦い
第五章 流浪
第六章 葭萌関の戦い
第七章 五虎将軍

登場人物

馬超
楊葉…妻
馬騰…父
龐悳
韓遂
董卓
楊阜
劉備
張衛
曹操
許褚
賈詡

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