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春日大社の歴史と見どころは?(奈良県奈良市)古都奈良の総鎮守

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春日大社とは

春日大社は、奈良の御蓋山(みかさやま)の麓に鎮座する、約1300年の歴史をもつ神社です。

奈良時代の768年、平城京の守護と国家・国民の繁栄を願って創建されました。

現在も年間2200回以上の祭祀が行われています。

1998年には「古都奈良の文化財」の構成資産として世界文化遺産に登録されました。

春日大社の歴史

春日大社の御祭神は4柱です。

式内社の中でも格式の高い名神大社です。

最初に奈良へ迎えられたのは、茨城県の鹿島神宮の武甕槌命でした。鹿島神宮は藤原氏の祖となる中臣氏の氏神です。

奈良時代初頭、平城京を守護する神として御蓋山の山頂に奉遷され、768年に現在の場所に社殿が造営されました。

現在の場所に社殿が造営される際、千葉県の香取神宮の経津主命、そして藤原氏の祖神とされる天児屋根命・比売神が加えられ、現在の四社殿の形が成立します。

藤原氏の氏神

中臣氏は古代の祭祀を担った氏族で、その中臣鎌足が天智天皇から「藤原」の姓を賜り、後の藤原氏につながります。

春日大社では、祖神である天児屋根命を祀る一方、藤原氏が深く関係した鹿島の神を祀り、東国のもう一柱・香取の神も祀りました。

春日大社は、藤原氏にとって「祖先神」と「氏族が古くから崇敬してきた神」を一つの場所に集めた氏神の社になります。

春日大社自身も天児屋根命を「藤原氏の遠祖」と説明しています。

そして、祖先に藤原氏を持つ人々にとって、春日大社は氏神になります。

武甕槌命と経津主命

神話上、武甕槌命と経津主命は、ともに国譲りに関わった武神です。

武甕槌大神は経津主大神とともに出雲へ降り、大国主命との国譲りを成し遂げた神とされています。

鹿島と香取は東国における国家的な祭祀・軍事上の重要拠点でした。

鹿島神宮は古くから東国への軍事的・祭祀的拠点として重要視され、平安時代には国家の守護神として信仰されていました。

鹿島・香取の神を奈良に迎えることは、東国で国家を守護してきた神々を、平城京という新しい国家の中心にも鎮座させるという意味を持っていたのでしょう。

白鹿に乗って奈良へ来た

春日大社を語るうえで欠かせないのが鹿ですが、伝承では、武甕槌命が鹿島から奈良へ来る際、白鹿に乗って御蓋山の山頂に降臨したとされます。

この伝承から、鹿は神鹿、神の使いとして特別に扱われるようになりました。

現在の奈良公園の鹿は、単なる観光名物ではなく、春日大社の信仰と一体になって保護されてきた存在です。

現在、奈良公園を中心とする地域には約1300頭の鹿が生息し、「奈良のシカ」は国の天然記念物に指定されています。

鹿島神宮の鹿苑と奈良の鹿

鹿島神宮にも鹿苑があり、鹿が神使として飼育されています。

江戸時代以降に鹿島の神鹿が減少し、1957年、奈良から春日の神鹿3頭を迎えて鹿苑が開園しました。

鹿島から奈良へ行った鹿が、鹿島へ戻ったのです。

春日大社と興福寺

春日大社が藤原氏の「氏神」であるならば、興福寺は藤原氏の「氏寺」になります。

興福寺では春日大明神を守護する神と位置づけています。

興福寺は藤原鎌足ゆかりの寺を起源とし、710年の平城京遷都に伴って藤原不比等によって現在地へ移されました。

平安時代になると神仏習合が進み、両者の関係はさらに深まります。

義江彰夫「神仏習合」の要約と感想は?
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興福寺では春日大明神を法相宗を守護する神と位置づけ、春日大社では興福寺僧侶による神前読経なども行われるようになりました。

明治維新の神仏分離によってこの一体的な関係は大きく変化しました。

しかし、1月2日の日供始式並び興福寺貫首社参式などに、歴史的なつながりを見ることができます。

安丸良夫「神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈―」の要約と感想は?
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春日大社の見どころ

御本殿

朱塗りの4棟の国宝御本殿には、第一殿から第四殿までに、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神が祀られています。

春日大社は回廊に囲まれた独特の姿をしており、春日大社を象徴する建築になっています。

約3000基の燈籠

春日大社を特徴づけるもう一つの存在が、約3000基の燈籠です。

平安時代から奉納が始まり、境内には石燈籠と釣燈籠が数多く残されています。

毎年、節分と8月14・15日の「万燈籠」では多数の燈籠に灯がともされます。

藤浪之屋

藤浪之屋は、北回廊の東端にある重要文化財の建物です。

江戸時代まで、神職が詰めていた場所でした。

現在で、春日大社を代表する神事・万燈籠(まんとうろう)を室内で再現する場所として公開されています。

春日大社にある約3,000基の燈籠のうち約1,000基が回廊に吊られた釣燈籠で、残りは境内の石燈籠です。

藤浪之屋では、この釣燈籠に灯りをともして、暗闇の中に燈籠の光が浮かび上がる万燈籠の雰囲気を体験できます。

御蓋山・春日山原始林

春日大社は、御蓋山と背後に広がる春日山原始林まで含めて聖域を形成しています。

春日山原始林は特別天然記念物であり、自然環境そのものが世界遺産「古都奈良の文化財」の重要な構成要素になっています。

飛火野と鹿

表参道に面した広大な芝生地が飛火野です。鹿が群れ、背後には御蓋山を望むことができます。

古くは春日野と呼ばれ、御蓋山を仰ぐ祭祀の場でもありました。

春日大社の神域に鹿がいるという本来の姿が見える場所です。

萬葉植物園と藤

春日大社の社紋は下り藤です。藤原氏とのつながりから、藤は春日大社を象徴する植物の一つです。

摂社

若宮社

御祭神は、御本社第三殿の天児屋根命と第四殿の比売神の御子神である天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)です。

平安時代の1003年に御出現し、1135年に現在の場所に社殿が造営されました。

若宮十五社

若宮の周辺には、摂社・末社が集中しています。

この一帯には、人が一生を送る間に遭遇するさまざまな難所を守護する神々が鎮座しています。

そのため、十五社を順番に巡る「若宮十五社めぐり」が行われています。

夫婦大國社

若宮十五社の最後に位置するのが夫婦大國社です。

  • 大国主命
  • 須勢理姫命

という夫婦神が祀られています。

日本で唯一、ご夫婦の大國様を祀る社とされています。夫婦円満、良縁、家内安全などの信仰で知られています。

須勢理姫命が手に杓子を持つ姿から、昔から杓子を奉納する習慣があります。

ハート絵馬なども奉納されています。

金龍神社

若宮十五社の「開運・財運」の神です。

若宮十五社の第14番が金龍神社です。

御祭神は金龍大神。

開運・財運を守護する神として信仰されています。

また、後醍醐天皇との関係を持つ神社でもあります。

本宮神社(式内社)

春日大社の摂社ですが、式内社です。

御蓋山(みかさやま)の山頂、浮雲峰に鎮座します。

一般の参拝者は山頂まで立ち入ることはできません。

武甕槌命は鹿島から白鹿に乗って奈良へ来られ、御蓋山の山頂・浮雲峰に降臨したとされます。

その後、768年に現在の御本社が造営されました。

本宮神社は、春日大社の御本殿よりもさらに原初の春日信仰に近い場所となります。

御蓋山という古い神聖な山への祭祀が先にあり、そこへ鹿島・香取などの神々が結びつき、やがて春日大社が成立していったのです。

榎本神社(式内社)

春日大社より古い地主神です。

御本殿の西南隅にあります榎本神社です。

榎本神社も春日大社の摂社ですが、式内社・春日神社の論社とされています。

祭神は猿田彦大神です。

祭神について変遷があり、中世以前には巨勢姫明神とされていたとする資料もあります。

榎本神社は、春日大社が現在地に成立する以前から、この地域に鎮座していた地主神と伝えられています。

鳴雷神社(式内社)

春日山の水源を守る式内大社です。

春日山の奥に鎮座する末社で、祭神は天水分神(あめのみくまりのかみ)です。

境内から遠く離れた春日山の山中にあるため、遥拝所からお参りする形になっています。

大和国添上郡の式内社37座の中でも重要な神社です。

末社

八雷神社(八龍神社)

御祭神:八雷大神

八大龍王と結びつく神として、雷・黒雲・雨を司るとされています。

御本殿の鬼門を守護する神です。

椿本神社

災難を祓う神として信仰されている神社です。

御祭神は角振神(つのふりのかみ)。

角振神は、春日明神に仕える眷属神という位置づけです。

春日明神の御眷属と説明し、別名を隼の明神(はやぶさのみょうじん)としています。