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江戸城外堀跡の歴史と見どころ紹介[国の史跡]

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四谷見附跡

国の史跡「江戸城外堀跡」は新宿区・千代田区・港区にまたがり、飯田橋駅(牛込門)から赤坂見附(赤坂門)までの約4kmに及びます。

より具体的には、牛込見附から赤坂見附までの幅約120m、延長約3.3kmと虎ノ門地区の3ヵ所が、1956年(昭和31)に国の史跡に指定されました。

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江戸城外堀跡(江戸城三十六見附の一覧)

  1. 浅草見附
  2. 筋違見附
  3. 小石川見附
  4. 牛込見附
  5. 市谷見附
  6. 四谷見附 このページで紹介
  7. 喰違見附跡 このページで紹介
  8. 赤坂見附(赤坂門) このページで紹介
  9. 虎ノ門
  10. 幸橋門
  11. 山下橋門
  12. 数寄屋橋門
  13. 鍛冶橋門
  14. 呉服橋門
  15. 常盤橋門
  16. 神田橋門
  17. 一ツ橋門
  18. 雉子橋門
  19. 竹橋門
  20. 清水門
  21. 田安門
  22. 半蔵門
  23. 外桜田門(桜田門)
  24. 日比谷門
  25. 馬場先門
  26. 和田倉門
  27. 大手門
  28. 平川門
  29. 北桔橋門
  30. 西の丸大手門
  31. 西の丸玄関門(二重橋)
  32. 坂下門
  33. 内桜田門(桔梗門)
  34. 下乗門
  35. 中之御門
  36. 中雀門
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四谷見附跡

江戸城三十六見附のひとつ。四ッ谷駅の東側に位置します。石垣と土塁が残っています。江戸城外堀跡は国の史跡になっています。

江戸城の半蔵門から武蔵国国府(府中)をへて甲州への甲州街道上に築かれた枡形門。建設を担当したのは、初代長州藩主・毛利秀就でした。

江戸城外堀のうち、牛込見附から赤坂見附までは江戸時代の寛永13(1636)年に仙台藩伊達家をはじめ東国五十二の大名家により開削されたまし。

四ツ谷駅周辺の土塁は桜の名所として有名です。

案内板

所在地: 〒102-0083 東京都千代田区麹町

喰違見附跡

喰違見附跡(くいちがいみつけあと)。江戸城の「江戸城三十六見附」のひとつ。四谷門と赤阪門との間にありまし。

清水坂から紀州家中屋敷に行く喰違土手の前に当たることからの名であるといわれます。

喰違見附は、外堀にある見附門の中では変わっているらしいです。

全て石垣が組まれた枡形の建築物として門が築かれている中、喰違見附は、周囲が高くなっている地形を生かして土塁を築く形となっており、城門は存在しませんでした。

名前の通り、道はまっすぐではなく、カギ型に曲がっていて、見通しを悪くしています。

真田堀

そばには上智大学のグラウンドがあります。かつては真田堀と呼ばれた堀で、江戸城の背後にあたります。

記録では深さ15メートル、幅は100メートルほどだったようです。掘り起こした土は、江戸の街の造成に使われたといわれます。神田山を切り崩して、日比谷を埋めたのと同じでしょう。巨大な公共工事の跡地です。

喰違見附跡の桜

桜の時期は見事です。

彦根藩邸跡

すぐそばに彦根藩井伊家の屋敷跡があります。今はホテルニューオータニになっています。

赤坂見附跡

赤坂見附。江戸城の「江戸城三十六見附」のひとつ。

見附とは主に城の外郭に位置し、外敵の侵攻、侵入を発見するために設けられた警備のための城門のことで、江戸城には外濠および内濠に沿って36の見附があったとされている。赤坂見附はそのうちのひとつで、他に現在に名を残すものとしては四谷見附(四谷)、市谷見附(市ヶ谷)などがある。

江戸時代の寛永13年(1636)。筑前福岡藩主黒田忠之により石垣が作られ、3年後に門が完成しました。

この赤坂見附は、他のところに比べて凹んだところにあります。

もともと、周辺が湿地帯で、溜池があったので、城門を造ろうとすると大がかりな工事が必要となり、割に合わないと判断されたようです。

当時、幕閣において、意見が対立し、最終的には現在の赤坂見附跡に建設されるのですが、反対派だった井伊直孝をなだめるために、将軍・徳川家光が井伊邸に出向いたといわれています。

赤坂見附跡
赤坂見附跡の案内図
赤坂見附跡
明治初期の赤坂御門の様子
赤坂見附跡
赤坂見附跡
赤坂見附跡
石垣