
橘寺から降りてきて、石舞台古墳に向かう前に、少し見学しました。
飛鳥の四大寺
川原寺(かわらでら)は、奈良県明日香村川原にあった飛鳥時代の大寺院です。川原寺跡は国指定史跡です。
飛鳥寺・薬師寺・大官大寺とともに、藤原京時代の「飛鳥の四大寺」の一つに数えられました。
発掘調査によって、巨大な伽藍の構造や豊富な仏教遺物が明らかになっています。
世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産として登録されています。
道路を隔てて反対側には、同じく国指定史跡で世界遺産に登録されている橘寺があります。
謎の大寺

川原寺は創建事情を直接記した確実な史料がないため、「謎の大寺」とも呼ばれています。
川原寺の創建について最も有力なのが、飛鳥時代に天智天皇が亡き母・斉明天皇の川原宮跡に冥福を祈って建立したという説です。
斉明天皇は655年、飛鳥板蓋宮が火災に遭ったため川原宮へ移り、翌656年には後飛鳥岡本宮へ移っています。
そのため、川原宮は比較的短期間使用された宮であったと考えられています。
その後、斉明天皇は661年に崩御します。
そして667年に天智天皇が近江大津宮へ遷都するまでの間に、川原宮の跡地に川原寺が建立されたというものです。
創建が不明

川原寺は非常に大規模で格式の高い寺院だったにもかかわらず、日本書紀には創建そのものを記した記事がありません。
確実な史料上の初見は、天武天皇2年(673年)です。
この年、川原寺に書生(写経をする人々)が集められ、一切経の書写が行われたと日本書紀に記されています。
天武天皇の時代になると、史料にたびたび登場します。
川原寺は、天皇家・国家と結びついた寺院だったと考えられます。
広さ

川原寺跡は「一塔二金堂」式の伽藍配置でした。
また、川原寺の寺域は非常に広大で、南北:約300m、東西:約210~260m、当時の飛鳥寺に匹敵する規模だったとされます。
川原寺を代表する出土品が塼仏(せんぶつ)です。
塼仏とは、粘土などを型押しして焼いた、いわば仏像を表現した土製の板です。
塼仏の正確な使用方法は現在も完全には分かっていません。
仏堂の壁面を大量の塼仏で埋め尽くし、堂内を荘厳していたと考えられています。
川原寺は複数の火災を経験しています。
大規模な伽藍を再建することができず、江戸時代中期頃には草堂一宇を残す程度になっていたとされます。

