宇江佐真理の「深尾くれない」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

「雖井蛙流平法」を興した深尾角馬を描いた小説。後妻のかの、娘のふきの二人の女性の視点から描かれている。

「雖井蛙流平法」の名は知っていた。きっとカエルのようながに股で構えるか、カエルのように飛んだりするからそう名づけられたのだろうと思っていた。例えば馬庭念流のようにがに股で構える流派もあるので、そうしたものだろうと一人合点していたのだ。

「雖井蛙流平法」は井の中の蛙大海を知らずの意味で角馬の号でもある。井蛙の上に雖(いえども)の一字を置くが、それは読まない。平法は兵法としない。

基本の組太刀五本を「五乱太刀の分」という。「錫杖」は去水流の流水の位から、「稲妻」は東軍流の微塵から、「曲龍」は神道流の埋木、「碪」は卜伝流の一の太刀、「高浪」は新陰流の釣曲から取り入れたものである。

続く「三曲太刀の分」も同様に諸派から取り入れたもので固められている。

つまり、雖井蛙流平法を修めれば、剣法の技は事足りるという考えである。

さて、深尾角馬は先妻と後妻の二人を斬っている。が、この事は、角馬の残忍性を意味しているわけではない。逆に、ひどく惨めで哀れな男の姿がそこにある。角馬は決して非情な男でも、不人情な男でもない。だが、なぜそうなったのかは本書に書かれているので確かめられたい。

印象的なのは、次のような角馬と娘のふきとのやりとりである。

「お父様、後生だけえ、うちが何をしても、斬らんといて」
ふきの言葉に角馬はぎょっと振り向いた。
「どこの世界に娘を斬る父親がおるか!」

角馬は大音声で怒鳴った。

市井ものの妙手・宇江佐真理としては異色の小説といえる。

あとがきで、深尾角馬と雖井蛙流平法に出会ったのは資料読みの途中での偶然だという。そこに書かれていたのは多くなかったものの、ひどくドラマチックなものを感じたという。

きっと誰か他の時代小説家の興味を引くことだろうと思っていた。事実、司馬遼太郎や戸部新十郎が短編として書かれているが、もっと角馬を知りたい筆者としては長編を待ち望んでいた。

だが、十年たっても書く人が現れなかった。ちょうど出版社から次作の打診を受けた時、アイデアがなかったので、担当者から角馬の話をもちだされたという。雑談の時に角馬のことをいろいろ話していたのだ。

こうして、書く羽目になったというのが本書だという。

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内容/あらすじ/ネタバレ

月足らずで生まれた角馬は同じ年頃の子供たちより一回りも小さかった。父・理右衛門は様々な剣の流儀を学んだ。

主としたのは丹石流という介者剣法(甲冑をつけてする剣法)で、角馬も丹石流の修行をした。角馬は理右衛門から家督を譲られるまでは河田喜六という名であった。深尾角馬を名乗るのは恐らく最初の妻を離縁してからだろう。

かのは角馬の後妻として迎えられた。かのが角馬の家に着いて最初に目を奪われたのは見事な牡丹の花だった。そして対面した角馬の言動から角馬の反骨精神の一端をうかがい知ることが出来た。

角馬は「井蛙(せいあ)」という号を使っていた。井の中の蛙大海を知らずの諺からとったものである。

かのはある日隣家の女中から先妻がどうして離縁されたかを聞かされた。角馬が江戸に行っている間に奉公していた男衆と深間になり、それが露見して角馬に斬られたのだという。

弟子たちが集まってきた。弟子たちは丹石流が時代にふさわしい剣法でないことを憂慮するようになっていたのだ。

藩内では丹石流より柳生新陰流の人気が高まっていた。そして、丹石流の教えを踏襲した新しい剣法を編むべきではないかと考えているという。

角馬は苦渋の選択をし、丹石の名を遣わない、新たな流派を起こす決意をした。角馬にとって、この日が丹石流との別れとなった。

年が明けたら角馬は参勤交代に供をして江戸に向かうことになっていた。かのは身籠もっており、角馬は男児の誕生を期待していた。それは、新しい流派「雖井蛙流平法」の後継を意味する。

「雖井蛙流平法」は井の中の蛙大海を知らずの意味で角馬の号でもある。井蛙の上に雖(いえども)の一字を置くが、それは読まない。平法は兵法としない。角馬は諸流派を学んでいる。それぞれ一長一短があり、優れた部分があれば、隙をつかれ弱い部分がある。角馬は完璧な剣法にする心づもりでいた。

角馬の家の牡丹は深尾紅と呼ばれていた。一際見事なものだったためにそう呼ばれていたのだ。角馬が江戸に行って
いる間、お熊という女中が来ることになった。

かのには気がかりなことがあった。それは生まれてくる子が女であった場合である。角馬は女が生まれた場合を考えず、その態度がかのをいたく失望させていた。そして、角馬に対する失望がそのまま深尾紅と呼ばれる牡丹に向かれた。果たして生まれてきた子は女であった。かのは娘をふきとした。

ふきが生まれて間もなく、かのは一人の山伏に出会った。かつてかのの家の若党だった戸田瀬左衛門である…。

ふきが覚えている最初の景色は、お熊に背負われて眺めた城下の道だと思う。ふきの側にはいつもお熊がいた。だが、お熊も年寄になったので、仕事が辛そうだった。

ふきはお転婆が過ぎる。それは本人も自覚している。おとなしく他の娘のようにはしていられないのだ。このことで父や叔父の石河四方左衛門の頭を悩ませていることも分かっている。

ふきには母親の記憶がない。それはそれでよかった。だが、ある時、ひょんなことから母が父に斬られたことを知った。

角馬は雖井蛙流平法の確立に焦っていた。というのは、城下での暮らしが次第に立ちゆかなくなり、思った以上に早く在郷入りすることになりそうだからだ。在郷入すると城下から離れるので地理的な面から弟子の指導ができなくなる。

そして延宝八年(一六八〇)。五十を迎えた角馬は城下でのお務めと剣法の指導を退くことを決意した。

ふきには田舎の生活は退屈でしょうがなかった。だが、そこで知り合ったあやと仲がよくなり、暇を見付けては会っていた。

このあやを介してふきは村で一番の豪農・清兵衛の次男・長右衛門と知り合う。やがて深い仲になるが、ふきは武士の娘、長右衛門と身分が違っている。

角馬は二人の仲を知っていた。そして、渋々ながらふきのことを思い、二人が結ばれるようにと長右衛門の父・清兵衛に頭を下げにいった。だが、思わぬことに断られた…。

本書について

宇江佐真理
深尾くれない
新潮文庫 約四三五頁
江戸時代

目次

星斬の章
落露の章

登場人物

深尾角馬
かの…後妻
ふき…娘
お熊…女中
おとら…隣家の女中
河田理右衛門…角馬の父
石河四方左衛門…弟子
ふじ…四方左衛門の妻
石河甚左衛門…四方左衛門の父、弟子
白井有右衛門…弟子
白井源太夫…弟子、有右衛門の孫
岩坪勘太夫…弟子
鈴置四郎兵衛…弟子
戸田瀬左衛門…山伏
七右衛門…下男
あや
治右衛門
長右衛門
清兵衛
池田光仲(大蔵殿)…鳥取藩藩主
匂の方

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