赤坂見附・牛鳴坂上にある武家屋敷門の歴史や見どころは?(東京都港区)(重要文化財)

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武家屋敷門の正面

赤坂見附から国道246沿いに青山方面に上って行って左側の横道(牛鳴坂)を進んだ先にあります。

山脇学園に隣接する形で保存されている門です。

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山脇学園横にある武家屋敷門の歴史

武家屋敷門の案内板

重要文化財 武家屋敷門

長屋門、桁行21.8m、梁間4.7m、二階建、切妻造、片流面出番所付属、本瓦葺

この武家屋敷門は、江戸城東廓八重洲大名小路(千代田区丸の内東京中央郵便局付近)にあった幕府老中屋敷の表門で、文久二年(1862)の火災後、当時の老中であった本多美濃守忠民(三河国岡崎藩)によって再建されたとみられる。
当時は桁行五十八間(実長約120m)にも及ぶ長大な長屋門であったが、左右が切り縮めされて、門と左右番所のみが移築されている。数少ない江戸城下の大名屋敷遺構のなかでも、五万石以上の諸侯または老中職に許された長屋門形式をもつ唯一の遺構である。

説明版

学校法人山脇学園が所有するこの武家屋敷門は、江戸時代末期に、現在の千代田区丸の内(東京中央郵便局付近)に建てられたものです。当時この辺りは大名小路(こうじ)と呼ばれ、老中職の役屋敷がありました。文久2年(1862)年の大火で類焼した後、老中本多美濃守忠民(三河国岡崎藩5万石の藩主)によって、直ちに再建された屋敷門であると伝わります。
のち実業家・政治家である藤山愛一郎邸の表門として港区白金台に移築後、重要文化財に指定されます。山脇学園所有後は、昭和49年に千葉県九十九里町の臨海学校松籟荘(しょうらいそう)構内に移され、平成28年に再び港区赤坂の本校舎内へ移築されました。
太い木材を用いた建物は切妻造本瓦葺きで、簡素な中に豪壮さがあります。かつては左右に長屋(家臣の住居や厩舎)が続き、総延長は120mもあったといいます。現在でも桁行21.8m、梁間4.7mの規模を誇り、中央に両開き戸と潜戸、両側に出番所を備えます。出番所は片流れ屋根とし、やや装飾的で、建物に威厳と格式を与えています。

https://bunkazai.metro.tokyo.lg.jp/jp/search_detail.html?page=1&id=2042
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山脇学園横にある武家屋敷門の見どころ

武家屋敷門の裏手

桜を背景に

武家屋敷門と桜

住所&地図

〒107-0052 東京都港区赤坂4-10-36

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