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惣宗寺の参詣記-歴史と見どころ紹介(栃木県佐野市)関東の三大師である佐野厄除け大師

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佐野厄除け大師惣宗寺
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佐野厄除け大師

惣宗寺(そうしゅうじ)、天台宗の寺院で、山号は春日岡山、寺号は春日岡山 転法輪院 惣宗官寺。

関東の三大師という場合は、厄除け大師とも呼ばれる元三大師(良源)を祀る寺院(天台宗)のうち次の3つの寺院を指す場合が多いです。

関東厄除け三大師とは全く別な物です。

  1. 佐野厄除け大師
  2. 青柳大師
  3. 川越大師

ちなみに、関東厄除け三大師とは、弘法大師(空海)を祀る寺院(真言宗)のうち、次の3つの寺院を指します。

  1. 西新井大師
  2. 川崎大師
  3. 観福寺大師堂
佐野厄除大師 – 関東の三大師 佐野水子地蔵尊安置
関東の三大師 佐野水子地蔵尊安置
宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。

宗派:天台宗
本尊:如意輪観音、元三大師

お寺の歴史

佐野市天然記念物大白椿春日岡(かすがおか)とよばれ、多くの人から親しまれている寺である。佐野厄除大師として、お正月を始め遠方より参拝される方が多いお寺として有名です。

その歴史は、朱雀天皇の944(天慶七)年3月、奈良の僧 宥尊(ゆうそん)上人が開いた寺で、 最初は日本の仏教で最も古い南都六宗の法相宗に属し、正しくは春日岡山転法輪院惣宗官寺という。

藤原秀郷公が平将門降伏の誓願により、佐野の春日岡 (現在の城山公園)の地に、春日明神の社殿とともにお寺を建て 朱雀天皇に申し上げたところ、天皇は大変喜ばれ「春日岡山惣宗官寺」の勅額を賜ったといわれ、それ以来、藤原一門の信仰あつく栄えたが、次第に衰退してしまった。

その後比叡山の僧で俊海という人が、父の藤原光憲から「春日岡は、わが祖父である秀郷公の創立した氏寺である。 昔、保元・平治の乱に殿堂が焼けて灰になったが、父の志を継ぎ修行の後にこの山を復興せよ。」このことを深く 心にとどめ、この寺の荒れ果てたことを憂い、正応年間(鎌倉時代)に信徒を集めて、藤原一族および北条一門の 有志とはかり、鎌倉幕府九代執権北条貞時をさとして、1297(永仁五)年8月に復興完成し、 これ以後「法華経」を所依の経典とし、伝教大師を宗祖と仰ぐ天台宗となる。

その後十二世の僧豪海のときに1602(慶長七)年、秀郷公から30代の佐野信吉公が、 幕命により唐沢城をこの春日岡(城山公園)に移すにあたり、寺は現在地に移転した。

徳川時代には御朱印五十石を拝領し、寺社奉行も置かれ、三代将軍家光公も参拝する等徳川幕府との縁故も深い。

https://www.sano-bukkyo.com/BN/sousyuji.html

田中正造墓

佐野厄除け大師惣宗寺田中正造石碑
田中正造墓

日本の公害の第一号といわれている足尾鉱毒事件の救世主、田中翁の分骨地である。近代日本の先駆者としての翁の功績をたたえ、毎年9月4日同志の人々が集まり、法要を いとなみ続けて今日に至っている。

https://www.sano-bukkyo.com/BN/sousyuji.html

金銅大梵鐘

佐野厄除け大師惣宗寺鐘楼

厄除元三慈恵大師一千年御遠忌を記念して建立された「金銅(きんづくり)大梵鐘」は、 人間国宝香取正彦先生によって謹製され、日本一大きな金の梵鐘(つりがね)で、 直径 1.15メートル、重量約2トン、黒塗りの切妻造りの鐘楼(しょうろう)に収められている。

https://www.sano-bukkyo.com/BN/sousyuji.html
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2016年 佐野厄除け大師

例年どおりやってきました。佐野厄除け大師。

家族の誰かは方位除けが必要な感じで…。

2015年 佐野厄除け大師

ことしもやってきました。佐野厄除け大師。例年以上に混んでいる気が…。

2012年 佐野厄除け

佐野厄除け大師惣宗寺山門
佐野厄除け大師惣宗寺
佐野厄除け大師惣宗寺
佐野厄除け大師惣宗寺子育て地蔵尊
佐野厄除け大師惣宗寺
佐野厄除け大師惣宗寺本堂
佐野厄除け大師惣宗寺
佐野厄除け大師惣宗寺
佐野厄除け大師惣宗寺水子地蔵尊
佐野厄除け大師惣宗寺
佐野厄除け大師惣宗寺
佐野厄除け大師惣宗寺

地図

栃木県佐野市金井上町2233