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那須国造碑の歴史と見どころ紹介(栃木県大田原市)古代の下野を知る手掛かり[国宝]

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那須国造碑
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那須国造碑

那須国造碑(なすこくぞうひ)。御神体ということで、拝むことはできませんでした。

国宝ということでもっと立派なところに安置されていると思っていたため、まさか、こんなところとは思いませんでした。

ある意味、わかりにくい場所です。

那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ) 国宝(古文書)
指定年月日 昭和27年11月22日 所在地 大田原市湯津上429 笠石神社 保持者 笠石神社 員数 1基 製作時代 飛鳥時代 大きさ  台石より上の総高 約148センチメートル  湯津上の笠石神社に祀られる石碑で、...
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那須国造碑説明板

栃木県大田原市にある古碑(飛鳥時代)であり、国宝に指定されている。書道史の上から多賀城碑、多胡碑と並ぶ日本三大古碑の1つとされる。

碑身と笠石は花崗岩である。19字×8行=152字の碑文が刻まれている。

永昌元年(689年)、那須国造で評督に任ぜられた那須直葦提の事績を息子の意志麻呂らが顕彰するために、700年に建立されたものである。「永昌」という元号は唐のものであるが、日本の元号は686年に天武天皇の崩御により701年の大宝まで停止されていた為、唐の元号を使用したと考えられている。

延宝4年(1676年)、僧侶・円順により発見されその報を受けた領主である徳川光圀が笠石神社を創建し碑の保護を命じた。さらに碑文に記された那須直葦提、意志麻呂父子の墓と推定した上侍塚古墳と下侍塚古墳の発掘調査と史跡整備を家臣の佐々宗淳に命じている。碑は表面を下にして埋もれていたため、碑文が保存されたと推定される。

現在、笠石神社の神体として祀られ崇敬されている。

道沿いを南に下っていくと、次々と国指定の史跡群に出会います。

ココを見たら、ぜひ他のところも見学しましょう。

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近隣の古代遺跡・史跡

近隣には国指定の史跡や国宝が固まっていますので、古来この地域が重要な地域だったことがよくわかります。

そして、おそらくこの周辺を古道の東山道が通っていたのだろうと思われます。

また、那珂川流域に固まっていることも、那珂川の水運を古来から利用していたことの証左なのでしょう。

  1. 那須官衙遺跡(国指定史跡)
  2. 唐の御所(国指定史跡)
  3. 那須神田城跡(国指定史跡)

那珂川を下っていくと、河口の南側と北側に格式の高い名神大社が鎮座しています。北にあるのが酒列磯前神社で、南側にあるのが大洗磯前神社です。祭神は酒列磯前神社がスクナヒコナで、大洗磯前神社がオオクニヌシです。国造りの神です。

逆に那珂川を上っていくと、那須岳へと向かうことになります。那須岳には式内社の那須温泉神社があります。この主祭神もオオクニヌシとスクナヒコナです。

川沿い(=国道294号沿い)を北上すれば、白河へ出ます。要所となる白河の関白河二所ノ関があります。白河の関へ向かう道は、源義経ゆかりの義経街道を通ることになります。

まさに、歴史街道です。

地図

住所:栃木県大田原市湯津上430