司馬遼太郎「坂の上の雲」第7巻の感想とあらすじは?

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文庫第七巻。

ここに至るまでの間、ロシア陸海軍のお粗末な指揮の様子というのは連綿と語られてきています。

このロシア陸海軍を二人の人間によって代表させています。陸軍はクロパトキンであり、海軍はロジェストウェンスキーです。

例えば、ロシア海軍の場合ですが、フランス政府は露仏同盟によってロシアを応援していましたが、この時期のロシア大本営参謀は自軍のバルチック艦隊がどこにいるかを把握していませんでした。

『話題がバルチック艦隊のことになったとき、
「煙草を吹かしながら暢気なドーバソフ(このロシア参謀)は叫んだ」
「ああ、かの愛すべきジノヴェイ・ペトーロウィッチ。彼はどうしているのだろう?…今、彼の艦隊はどこにいるのでしょう」(古野清人訳「犠牲の艦隊」)
といって、フランスの外交官や海軍武官を唖然とさせたのである』

また、おなじく単行本の第二巻の「あとがき」に書かれていますが、日露戦争は日本軍が強かったというよりは、ロシア軍の指揮系統の混乱や、高級指揮官同士の相克とか、ようするに自ら敗北を招くようなことをしたおかげで、ロシアが自滅したと司馬遼太郎氏は理解しているようです。

これに対する反論として、すでに『兵員に革命思想が浸透していて厭戦気分になっていた』というものがあるようですが、これを『過大にみる人があるが、それは結果から見すぎる見方であろう』とバッサリと斬り捨てています。

さて、奉天での会戦が、わずかに日本側優勢の状態で終了した直後、児玉源太郎は戦争の終結をうながすべく東京へ戻ります。

もはや戦争をつづけるだけの国力はなかったからです。

ですが、児玉源太郎が東京で見たのは次の光景だった。

『児玉が閉口しきっていることは、新聞が連戦連勝をたたえ、国民が奉天の大勝に酔い、国力がすでに尽きようとしているのも知らず、
「ウラルを越えてロシアの帝都まで征くべし」
と調子のいいことをいっていることであり、さらに児玉がにがにがしく思っていることは政治家までがそういう大衆の気分に雷同していることであった。』

結局は、外交上の疎漏などによって、奉天の会戦後に講和条約は結ばれることはなく、日本海海戦の結果次第に持ち越されてしまいます。

この日本海海戦において日本海軍と対峙するバルチック艦隊について、日本側がその進路に頭を悩ましている時、次のような噂が巷間で取り沙汰されたといいます。

『皇后の夢枕に白装の武士が立ったという噂がさかんに巷間で取り沙汰されたというのもこの時期であった。名を坂本竜馬といった。』

竜馬がゆく」を読んだことのある人ならご存じの逸話です。「歴史の中の日本」にも書かれています。

小説(文庫全8巻)

NHKのスペシャル大河「坂の上の雲」(2009年~2011年)

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内容/あらすじ/ネタバレ

奉天のクロパトキンの総司令部においても一大攻勢が計画されていた。ロシア軍は日本軍左翼である黒溝台付近を襲って秋山好古の支隊を苦しめたが、日本側がいそいで臨時軍を編成することで辛うじて押し返した。

サハロフ中将から「正統的」な作戦計画が示されたが、クロパトキンはもう一度沈旦堡を押そうといいだした。

だが、例によってクロパトキンの気が変わったのである。クロパトキンは旅順をおとした乃木軍十万(実数は三万四千)の行方について神経を病ませていた。そこに、北京の武官から乃木軍がウラジオストックを衝くという情報を得た。これによって、クロパトキンは乃木軍は日本軍のはるか右の方角へ展開し、左回りでクロパトキンの背後に出てくると思った。見当違いであり、これは東京の命令で新設された鴨緑江軍の情報と混同してしまっているに違いなかった。

二月十九日というのは、日本側、ロシア側の双方にとって重要な日となる。両軍は偶然似たことをする。ただちがうのは、大山・児玉の日本軍が一大決戦を強いることによってロシア軍を追い上げようとしているのに対して、クロパトキンは、いったんは日本軍に一大決戦を強いようとしたものの、この日に中止を決断したいと考えていたことである。

クロパトキンは様々な理由を述べて、日本騎兵の遠距離活動をふせぐためにミシチェンコ騎兵団を後方へ動かしてしまい、とうとうこの騎兵団は奉天決戦に参加できなかった。

秋山好古は奥保鞏の隷下にあったが、乃木軍との有機的連絡をたもつため両属のような状態にあった。

クロパトキンにとってというよりロシア軍の不幸は、クロパトキンの思考法にあった。つねに敵によって動こうとし、敵の出方をいつも見ていた。あたまから防御心理ができており、これは恐怖が思考の軸となっていたことを示す。

奉天大会戦の火ぶたは、鴨緑江軍によって切り落とされた。

戦闘は二十日間もつづき、状況はつねに惨烈で、日本軍のあらゆる意味での疲労が出始めており、前途がよほど困難なものになりつつあることを象徴していた。

クロパトキンが、乃木軍が左翼に出てきたと勘違いしたところから、全兵力の五分の一を東部戦線へ移動させてしまった。乃木軍は退路を断つつもりらしいと思ったのだ。

やがてクロパトキンも本物の乃木軍が逆の西部戦線から出てきたことを知った。北上する乃木軍は会戦の三日目になって戦況が激烈となった。

この会戦ではロシアが火力においてはるかに日本を凌駕していた。

奉天会戦ほど、日露両軍にとって辛い戦いはなかった。児玉は毎朝太陽に向かって拝んだ。なんとかこの一戦で優勢の位置を占めたいというのが懸命な願望であり、戦局を優位に結ぶことで講和交渉を有利に展開させる基礎をつくろうとしていた。この一戦で日本の戦力は尽きる。
このころ、秋山好古のもとに初めて巨大な騎兵団があつまった。刀数は三千騎であった。

奉天会戦はどうみてもロシア軍が負けるべき戦いではなかった。が、徹頭徹尾、作戦で惨敗した。ロシア軍の敗因は、ただ一人の人間に起因している。クロパトキンの個性と能力である。

「奇蹟三月七日」というの戦後話題になった。ロシア軍が忽然と消えたのだ。これは、クロパトキンが退却させただけだったのだが、なぞの多い退却であった。三月八日になると日本軍は全軍にバネがついたように跳躍して追撃する。そして、九日、戦況についての不利な要素は少しも発生していないにもかかわらずクロパトキンは鉄嶺まで総退却するとした。要するに奉天をすてて逃げるということだ。

奉天会戦の勝敗は十日夜に決定した。ロシア史上類を見ない敗戦を現実し、この夜の戦闘だけでロシア兵の投降者は二万以上を超えた。

この会戦における日本軍の死傷は大きく五万以上にのぼった。ロシア軍の損害は退却時にはなはだしく、捕虜三万余を含めて損害は十六、七万人にのぼった。

勝ったという判断基準の一つに、作戦目的を達し得たかどうかがあるが、これを尺度にすれば、日本側は負けはしなかったものの、勝ったとはいいがたかった。

この結末に大山巌と児玉源太郎は不満と前途の危険を感じたが、このあたりが切りだとみていた。児玉は東京へ戻って、要人たちの尻をたたいて講和への段取りをすすめさせようとした。

日本は外交上の打つべき手を出来るかぎり打ちつつあった。この国がその歴史の中で世界の外交界というものを相手に懸命な活動をした最初のことであり、その後、これだけの努力を払った例は日本の外交史上出現していない。

アメリカには金子堅太郎がゆき、ルーズヴェルト大統領に講和への口火を切ってもらうことにしていた。

だが、外交上の疎漏が多かった。児玉が東京に戻ってきて、講和工作へ本格的に動き始めた時、実務を担っていた駐米公使の高平小五郎の演じたミスにより、講和は陸戦で決着がつかず、海戦の結果によって行われるかどうかになってしまう。

ロジェストウェンスキーはインド洋に入っていた。そしてマラッカ海峡を抜けて北上しようと考えていた。マレー半島の先端にはシンガポールがある。英国人に艦隊の全てをさらけ出して航海をつづけた。

ロジェストウェンスキーがネボガトフ少将の艦隊を待っている間に、煙突の色を全て黄色く塗らせた。これによって東郷艦隊の射撃にとってプラスとなり、敵味方の区別に苦労は全くなくなる。

だが、ネボガトフと合流したことによって、この艦隊は総数五十隻、排水量は十六万二百余トンという巨大な数字になる。また、勝敗を決する戦艦が日本側が三笠以下四隻しかないのにたいして、八隻そろえていた。しかも、主力の四隻は三笠よりも新しかった。

バルチック艦隊が五月十四日に仏領安南を離れたのは機密事項であったが、パリの外務省は大ざっぱには把握していた。

この後の進路ほど日本側を悩ましたものはなかった。バルチック艦隊がどこを通るのか。

日本側にとっては対馬海峡ルートを通ってくれるのがもっともよい。だが太平洋に出て迂回するかたちでウラジオストックに向かうことも考えられた。日本に艦隊が二セットあれば、両方に手当てできたであろうが、一セットしかなかった。

秋山真之もおそらく対馬海峡にやってくるとは八分の公算をもっていたが、残りの二分に悩み抜いて迷っていた。

この悩みを増幅させたのは、いつまでたってもバルチック艦隊が現われないことである。知らぬ間に太平洋迂回コースをたどりつつあるのではないか。

日本海軍の不安が頂点に達しようとしている中、連合艦隊司令長官の東郷は不動のままでいた。

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本書について

司馬遼太郎
坂の上の雲7
文春文庫 約三六五頁
明治時代

目次

会戦
退却
東へ
艦影
宮古島
関連地図

登場人物

秋山信三郎好古…兄
秋山淳五郎真之…弟
(秋山支隊)
豊辺新作…大佐
大山巌…参謀総長
児玉源太郎…参謀次長
松川敏胤…大佐→少将
黒木為楨…陸軍大将、第一軍
奥保鞏…第二軍
立見尚文…中将、第八師団長
橋本勝太郎…後備第一師団の参謀、中佐
乃木希典…第三軍
津野田是重…参謀
東郷平八郎…中将、連合艦隊司令長官
上村彦之丞…第二艦隊
佐藤鉄太郎…中佐
金子堅太郎
高平小五郎…駐米公使
ルーズヴェルト…アメリカ大統領
ニコライ二世…ロシア皇帝
ウィッテ…ロシアの重臣
クロパトキン
サハロフ…中将
エウエルト…少将
ミシチェンコ…コサック騎兵集団の長
デシノ…北京駐在武官、少将
ロジェストウェンスキー…中将、バルチック艦隊司令長官
ウラジミール・コスチェンコ…技師
ネボガトフ…少将

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