司馬遼太郎の「街道をゆく 洛北諸道ほか」第4巻を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

今回の旅は近畿とその周辺である。「洛北諸道」のくだりが面白かった。

洛北諸道

江戸時代になって群がり出てきたスタスタ坊主。願人坊主とも呼ばれた。この家業が流行ったのは大岡越前守が江戸町奉行だった頃で、大岡越前守は京都所司代を経て鞍馬寺に問い合わせたそうだ。

スタスタ坊主とはお札の販売員であったが、由緒づけるために、源義経が若い頃鞍馬寺で修行した折、それにくっついてた連中の後の姿といったという。

似たようなのに、山伏があるが、山伏は僧ではなく在家の修験者である。江戸期になると里に定着し、行の力をつかって里人のために加持祈祷をしていた。スタスタ坊主のように乞食階級ではなく、もうすこし尊敬された存在だったという。

中世で活躍した僧兵。叡山、興福寺、三井寺、熊野といったところにいた僧兵は戦国末期に消えてしまっている。

僧兵は寺の雑役から発生し、平安末期に寺の武装が重厚になるにつれて僧兵となった。戦争のない時はキコリをしたり寺の雑用をしたりする。

この項で面白いのは、司馬遼太郎が真言密教のことを調べている時通っていた志明院では様々な怪奇があったという。ここで作者は呪法も見たという。

もともと山伏が訪れるという寺であったが、よほどの行力のある山伏でなければこわくて近づけない場所だったそうだ。要するに得体の知れない魑魅魍魎が棲息しているというのだ。

ここでの経験が「梟の城」や「妖怪」に反映されているらしい。

光厳天皇をはじめとする北朝五代の天皇を明治末期の政権が天皇の座からはずしてしまい、南朝を正統とした。

この北朝を認めずという歴史観に影響を与えたのが、水戸藩の水戸史観であり、これがのちの皇国史観となっている。さらに、水戸史観に影響を与えたのが、日本に亡命してきた中国人の学者である朱舜水である。

それで南朝を正統としたのはいいが、明治天皇は北朝の裔である。そのため、その後の教科書等では苦心があったようだ。

応仁・文明ノ乱。室町末期のおいてなしくずしの中世諸体系の大崩壊といっている。フランス革命のような意識的な革命的指導者はいなかったが、この時期に貴賤という価値体系が根こそぎひっくり返ってしまった。

ヨーロッパのような堅牢な貴族階級が成立しなかったのは、この時期の苛烈な社会対流の大現象があったればこそと言っているのは興味深い。

郡上・白川街道と越中諸道

山城の典型の一つが長良川上流の郡上八幡城である。

城主がいくつか変わっており、戦国期には遠藤氏、稲葉氏、江戸期には遠藤氏が復帰し、井上氏、金森氏、青山氏と変遷する。

それ以前は、室町期の領主として東常縁(とうのつねより)が知られる。常縁は歌道の秘密伝授である古今伝授をやった最初の人物とされ、歌人として有名であるが、武人としても優秀だったらしい。

丹波篠山街道

篠山城主として青山氏が入部してから維新まで青山氏がつづいた。

青山といえば、東京にその地名が残っている。この地名の伝説はよく知られているが、家康が江戸入部した時に、あのあたりを馬で駆け、駆けただけ土地をやるといわれてもらった土地だという。

青山の地に藩邸を持っていたのは、美濃郡上藩の青山氏で、篠山青山氏の藩邸は霞ヶ関にあったそうだ。

堺・紀州街道

乱世にあっても中立を保っていた堺。重厚な武力を持っており、海戦が出来るような船隊をもっていたり、牢人部隊を養っていたり、市中見回りの傭兵隊をつくっていたりしていたようだ。そして、町の周りを巨大な水濠をめぐらしていたという。

この堺の自治制を廃止させたのが織田信長であった。

風流という言葉が戦国期に流行った時、非正統の遊び意識と遊びの型のことをいっていたそうだ。服装を伊達にして傾いていることや、贅沢な生地で異装の風をこらし異風な踊りを集団で踊ることもそうだったという。

北国街道とその脇街道

古代、ひろく越(高志)とよばれた北陸三県は畿内と独立した一勢力をなしていた。

継体天皇は越前三国の出身であり、わざわざ越前から出てきて畿内にはいり、にわかに天皇になるのは謎であるという。これに対する作者の推測は興味深い。

本書について

司馬遼太郎
街道をゆく4
洛北諸道ほか
朝日文庫
約二八〇頁

目次

洛北諸道
 スタスタ坊主
 花背へ
 杣料理
 大悲山
 無名の長州人
 山国陵
 御経坂峠

郡上・白川街道と越中諸道
 追分の道標
 室町武家のこと
 白川谷の村々
 五箇山の村上家
 山ぶどう
 立山の御師

丹波篠山街道
 長岡京から老ノ坂へ
 丹波亀岡の城
 篠山通れば
 丹波焼
 立杭から摂津三田へ

堺・紀州街道
 華やかな自由都市
 氷雨の中の五輪塔
 隆達節など
 栄華と灰燼
 樫井村付近

北国街道とその脇街道
 海津の古港
 記号としての客
 気比の松原
 木ノ芽峠の山塊
 武生盆地
 越前日野川の川上へ
 栃ノ木峠から柳ヶ瀬へ
 余呉から木ノ本へ

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