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永井路子の「山霧 毛利元就の妻」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

最初に、『これは乱世の梟雄、毛利元就の物語ではない。中国山脈の山裾の霧の中を這いずりまわりつつ、十六世紀を生きた若い男と女の話である。』と書かれているように、毛利元就とその妻・おかたの二人を描いている。

物語も、おかたが毛利家に嫁いだ永正十五年(一五一八)から、四十七歳で亡くなる天文十四年(一五四五)までを中心に書かれている。

その後の元就についてはわずかなページだけで記されているにすぎない。

中心として描かれているのは、元就が後を継ぎ、勢力を拡大するまでの間のことで、毛利元就は、大内家と尼子家に挟まれ、どちらにつこうかと悩んでいる頃である。

勢力を拡大し、毛利家が中国地方に覇権をとなえ始める、厳島の戦いなどは描かれていない。

この頃の政略結婚について、永井路子氏はネガティブに捉える必要はないとたびたび物語の中で述べている。

それに、戦国の花嫁は、複雑な性格の二重スパイである。婚家との親善の窓口でありながら、情報収集に利用しようとする。こういう二重スパイ的なところは、元就に嫁いだおかたにもある。

そのおかただが、『天と地がひっくりかえるわけじゃなし』が口癖で、生来の楽天的な妻として描かれている。対する夫の元就は用心深く心配性である。対照的な性格の二人だが、これが良い組み合わせなのである。

さて、「三本の矢」の逸話が有名である。力を合わせて家を盛り上げよという逸話である。

微笑ましい逸話だが、毛利隆元、吉川元春、小早川隆景、宍戸隆家に嫁いだ五もじら、毛利家の兄妹弟というのは決して仲が良くなかったという。

意外な気がするが、仲が良くなかったからこそ、戒めとしての逸話が残ったのだろう。

ちなみに、この物語で登場するのは、正室の子供ばかりであり、元就には他に側室が産んだ子供達がいる。

平成9年(1997年)のNHK大河ドラマ「毛利元就」の原作。

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内容/あらすじ/ネタバレ

永正十五年(一五一八)早春。

今年二十二になる猿掛城主・毛利元就の所に吉川家からの輿入れである。目下の所、毛利家よりも吉川家の方が強大である。

毛利家の当主は幸松丸。四歳の幼児である。毛利の本城である郡山城にいる。元就の兄・興元の子である。

元就に嫁いだお美伊はおかたと呼ばれることになる。

この祝言には異腹の弟・元綱が出席していない。元綱の妹・お松は吉川元経に嫁いでおり、自分は人質を出したのにもかかわらず、得をしたのは元就と思っているはずである。

元就がいないと良いと思っている連中は沢山いる。

この前年。吉田荘の近くでかなりの合戦があった。有田合戦であり、一名、西の桶狭間と呼ぶ。

この戦いで毛利元就の名は知られるようになるのだが、これは自領防衛のためのやむをえない行動だった。しかし、これで恩恵をこうむったのが吉川家で、両家を結ぶ縁談の成立となった。

毛利元就は少年時代の人間不信から用心深くなっている。

本家ではない元就の持高はたった三百貫である。

おかたの実家で吉川元経に嫡男が生まれた。これに元就は大げさに騒ぎ立てて吉川との結びつきを見せびらかさなかった。それは郡山にいる幸松丸の母で元就の義姉を刺激しないためである。

この頃、義姉の実家・高橋家では用意ならぬ内輪もめが起きていた。

嫁いで半年余り。おかたは元就という男を次第に理解するようになった。その驚くべき用心深さは、手紙や命令書などの写しを必ず取るところにも現われている。

出雲の尼子経久に嫁いでいる叔母から、おかたに便りが届いた。

経久は杵築大社(出雲大社)の造営が完成し、遷宮が行われることになった。権力と財力を誇示したのだ。尼子が山陰の覇権を確定的にしたということだ。

山陰を尼子が押さえたように、長門、周防、筑前、豊前へと手を広げているのが大内義興である。この大内義興は山口に伊勢神宮を勧請することになった。

寺社の造営という形で、尼子と大内は火花の散らしあいを始めていた。

たかが三百貫の所領の元就にとって、大内と尼子のあわいを見定めて生きていくしかない。

おたかが後の隆元となる少輔太郎を生んだ頃、元就は戦陣にあった。安芸西条の鏡山城攻略のためである。

城を守るのは大内義興方で、攻め手は尼子経久である。安芸は大内と尼子という二大勢力の競り合いの場になっている。

元就にとってどちらにつくか…難しい選択である。

この戦いには、毛利の総大将として幸松丸が出陣している。

戦いには勝ったが、後味の悪いものであった。

幸松丸は身体が弱い。これにつけ込んだのが元就の異腹の弟・元綱である。尼子から養子を迎えようという話もあるそうだ。毛利家の跡継ぎを巡る闘争が始まろうとしていた。

幸松丸が死んで、元就が毛利家の当主となった。あわやと思われた相続問題が急転直下好転したのは元就の一つの作戦があったからだ。
元就二十七歳だった。

尼子から出陣の使者がやってきた頃、毛利元綱の動きがいぶかしいことがわかった。これを機に、元就は反元就勢力の粛清を実行した。

後になって考えれば、この時期にこうしたことを行ったのは好運だったともいえる。元就は体制固めを行うことができたのだ。

この中で、元就は渡辺勝の倅・虎市を逃していた。

郡山に客がある。毛利家の宿老で一門の志道広良である。尼子とのつながりは家中随一である。それが大内を褒めたりする。どうも腹の底が知れない。

どうやら広良は了見を変えたようである。

郡山城から北一里ほどの所に宍戸氏の五龍城がある。近いところにいる実力者は毛利家にとって厄介だった。

元就は宍戸家との結びつきを考え、娘を嫁入りさせることにした。この頃には元就は大内家を介して叙位任官しており、はっきりと大内側についたことを示していた。

渡辺勝の倅・渡辺通(虎市)が毛利家に帰参した。

この頃、山内直通が心ならずも尼子家の骨肉の争いに巻き込まれ、それが山内と多賀山の両家の間に影を落し始めていた。

多賀山に手を出そうとした元就は尼子からの手ひどい仕返しを受ける。そしてじわじわと広げてきた所領を次々と奪われた。

少輔太郎が人質として大内家に行くことになった。少輔太郎は大内義隆から一字をもらい隆元と名乗ることになった。

石見銀山を巡る大内と尼子の攻防が熱し始めている。互いに決戦は近づいたと考えている。ここで相手を叩いておかなければならない。

尼子は大内を叩く初めとして毛利を攻める軍を動かし始めた。

この軍勢を止めたのは宍戸家だった。

本体を動かしきっていなかった尼子はすぐに軍を動かした。新宮党と呼ばれる精鋭部隊を含め、三万の軍を動かすというのだ。対する毛利家は二千四百。戦う前に勝負が決まってしまっているようなものだ。元就は城に領地の百姓らも入れ、籠城することにした。

尼子詮久は青山三塚山に陣をはり、雪の降る季節まで両者は対峙した。均衡が崩れたのは、陶隆房が援軍を送ってきた頃からである。

隆元が山口から帰ってきた。十九歳である。

尼子経久が世を去った。八十四歳。

これを機と見た大内は尼子打倒のための軍を動かす。こうした中で、元就の所に竹原の小早川家から養子の話が来た。迷っていたが、隆元がいい話ではないかと言い、養子の話が決まった。養子に送り出すのは徳寿丸(後の小早川隆景)である。

天文十一年(一五四二)。大内義隆が尼子打倒の軍を動かした。一万五千ともいわれる。

勢い込んで見たものの、結局は吉川興経らの裏切りなどにあい、大内軍は撤退を余儀なくされた。

この殿に命ぜられたのが毛利元就だった。

本書について

永井路子
山霧 毛利元就の妻
文春文庫 計約七四〇頁

目次

柑子色の灯
千法師
鷹の羽
細越峠
転機
地獄耳
絵図
海賊の花嫁
網の瓢
雪合戦
岐れ路
戦雲
雪の城
悪路彷徨
霧いまだ霽れず

登場人物

毛利元就
おかた(お美伊)…元就の妻
毛利少輔太郎(毛利隆元)
毛利少輔次郎(吉川元春)
毛利徳寿丸(小早川隆景)
藤野…老女
小三太…小者
志道広良
志道通良…志道広良の倅
渡辺通(虎市)
福原広俊
桂広澄
宍戸元源
宍戸隆家…元源の孫
五もじ…隆家の妻、元就の娘
策雲玄龍
幸松丸
毛利元綱…元就の弟
渡辺勝
吉川国経…おかたの父
吉川元経…国経の子
お松…吉川元経の妻、毛利元綱の妹
千法師…元経の嫡男
高橋興光
高橋盛光
大内義興
陶興房
陶隆房
尼子経久
尼子詮久
山内直通