風野真知雄の「奇策 北の関ヶ原・福島城松川の合戦」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

関ヶ原の合戦がたった一日で勝敗がついたあと、東北では伊達政宗が上杉景勝の領土をかすめ取ろうとしていた。

その時の伊達家と上杉家との攻防となる「松川の合戦」を描いた小説。主役は本庄繁長である。

「松川の合戦」は関ヶ原の戦いに関連して起きた戦いの一つ。

上杉家では「松川の戦い」「松川合戦」と呼び、伊達家では「福島表の合戦」「宮代表の合戦」「瀬上崩れ」等と呼んでいる。

ちなみに、松川は地名ではなく河川名である。

この「松川の合戦」の前に、上杉軍が最上家を攻めて起きた戦いを「慶長出羽合戦」といい、北の関ヶ原といわれる。長谷堂城を巡る壮絶な戦いが有名である。

この戦いも本書でも描かれているが、主題ではないので、さらりとしている。

本書にはとてもいい図が掲載されている。

それは、慶長五年(一六〇〇)時点の東北地方の勢力図だ。

上杉家の所領は百二十万石となっていたが、それが会津と米沢を合わせてのもので、両者の地理的な関係というのはハッキリとしないことが多かったのだが、この勢力図のおかげでハッキリとした。また、周辺の最上家や伊達家との地理関係も一目瞭然である。

こうした勢力図というのはありがたい。

さて、最初と最後に松尾芭蕉を登場させている。

最後の場面では、とても有名な一句の発端になったという風にしているのが面白い。通常の解釈とは違うし、奥の細道で書かれている内容とは異なるのだが、これはこれで面白いのではないかと思う。

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内容/あらすじ/ネタバレ

慶長五年(一六〇〇)。

矢源太は下野の小山から宇都宮にいたるまで埋め尽くした軍勢が、突如と引き返し始めたのを見た。大軍は徳川家康が率いる会津討伐軍だ。

矢源太は本庄繁長につかわれる二十名ほどの草の者達を束ねている。本庄繁長はすでに六十二才になっている。

会津若松城では上杉景勝と直江兼続が相談していた。景勝はこれを機に越後を欲している。そこで兼続は最上を攻めようといいだした。最上を落とし、西へ行く作戦だ。

問題は伊達対策である。肝心なのは信夫にある福島城だ。誰を置くかだ。直江兼続は本庄繁長の名を出した。上杉景勝は気が進まない。あれは、裏切る…。その思いがあったからだ。

本庄繁長は上杉謙信に叛旗を翻したことがある。一度ならずだ。その他にも不審な動きをしたことがある。だが、戦は強い。

福島城には本庄繁長の他、息子四人が集まっている。長男の本庄顕長、三男の本庄長房、四男の本庄久長、五男の本庄重長である。

この福島城で婚儀が行われようとしている。土豪たちが集まっている。婚儀は滞りなく終わったが、その後、土豪たちは留め置かれた。つまり、祝言にかこつけて近在の土豪たちを集め、一網打尽に人質に取ったのだ。

伊達政宗三十四才。福島城で土豪たちが全員人質になったという知らせを聞き、裏切らせるのが難しくなったことを知った。

だが、本庄繁長の望むものを探り、条件を出せば、裏切るはずだ。

本庄繁長は城の秘密が漏れていると矢源太に告げた。もしかしたら、五男の重長が…。矢源太は配下の桃に重長を見張ることを告げた。

本庄繁長を訪ねて来た者がいる。伊達政宗の使いで秋庭友保と名乗った。米沢十五万石を呈示してきた…。

直江兼続が率いる上杉軍が米沢を進発した。目指すは最上義光のいる山形城だが、途中の長谷堂城が肝である。

矢源太に桃、三郎次は大垣近くにいた。現地で桃の父・多平らと合流した。関ヶ原で行われる合戦の様子をつぶさに見るために出てきているのだ。

この関ヶ原での西軍の完敗の知らせを受けた直江兼続率いる軍は、最上攻めどころではなく、再度やってくる可能性のある徳川家康に備えるため、退却し始めた。

伊達政宗が上杉を攻めると決意した。黒脛巾組の棟梁・横山隼人は本庄繁長の倅の中でも気質が親父そっくりで反骨心が強い重長と接触し、手応えを得ているという。

慶長五年十月四日。伊達政宗は名取郡の北目城を出た。福島城を落さない限りは伊達・信夫の地は伊達政宗の手に戻らない。だが迷っていた。

本庄繁長は大森城をどうするかを考えていた。福島城の西南にある城で、取られると戦がやりづらくなる。

五男の重長が政宗は必ず大森城を攻めるという。繁長は重長を大森城の城将として入れることにした。

一方で伊達政宗は本庄重長が大森城へ入ることを知ったが、大森城へ割く兵の数を少なくした。なんとなれば、重長は寝返ることになっているからだった。

福島城にも援軍がやってきた。合わせて三千五百。一方の政宗は二万である。

伊達政宗の所に上杉景勝が動いたという知らせが届いた。景勝が到着するまでに福島城を攻め落とさなければならない。出撃を決意した。

一方、伊達の別働隊は大森城を囲んでいたが、城の様子がおかしい…。

信夫山をおりて陣形を立て直そうとする伊達軍と、上杉軍が麓あたりで激突し、凄まじい白兵戦が始まった。松川の川原での合戦が激しくなった。

本書について

風野真知雄
奇策 北の関ヶ原・福島城松川の合戦
祥伝社文庫 約三六〇頁
安土・桃山時代

目次

序章
第一章 老将
第二章 人質
第三章 裏切り者
第四章 関ヶ原
第五章 前哨戦
第六章 背後
第七章 謀略戦
第八章 退却
第九章 おいぼれ
第十章 生き残った家
終章 夢の跡

登場人物

本庄繁長
本庄顕長…長男
本庄長房…三男
万寿丸…長房の子
本庄久長…四男
本庄重長…五男
矢源太…草のものを束ねる

多平…桃の父
清十
三郎次
清野和兵衛
石添早苗
伊達政宗
片倉景綱
片倉小十郎…片倉景綱の倅
秋庭友保
横山隼人…黒脛巾組の棟梁
上杉景勝
直江兼続
安田宗虎
本多正信

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