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山本博文の「学校では習わない江戸時代」を読んだ感想

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覚書/感想/コメント

江戸時代の諸制度が確立するのは三大将軍徳川家光の時代。老中制度が確立するなど幕府機構が整備され、鎖国と呼ばれる体制が一応の完成を見る。その時代を「寛永時代」の名で代表される。

次いで五代将軍徳川綱吉の時代、経済が発展し、社会が安定し、文化が発展した時代として「元禄時代」の名でよく知られる。

本書はこうした江戸時代を様々な角度から解説している入門書である。

なお、一般向けの雑誌やパンフレットにおりおりに依頼されて書いたものを収録しているため、首尾一貫した流れとなっていない。

特に、第一章ではそれぞれの小説や事件をある程度知っているのを前提として書かれている節があり、唐突な印象を受ける箇所もままある。また、短い枚数で多くを語ろうとしているため、やや読みづらいという難点を併せ持つ。

「葉隠」。佐賀藩士田代又左衛門陣基が隠居していた藩士山本神右衛門常朝を訪ね、その言葉を筆記したもの。「武士道とは死ぬことと見付けたり」で有名な書物である。

死のうと思い切ってしまえば腹が据わり、切羽詰まった場にあっても適切な行動がとれるという教えで、これがある時期には便利に解釈されていたという。

だが、本書に書かれているのは必ずしも死ぬことを推奨しているわけではなく、恥をかかないで振る舞うためにはどう行動すればいいかを教えている部分が多いという。

五代将軍徳川綱吉。初期の政治に真剣に取り組んだ時代を天和の治と称し、悪法の生類憐れみの令を出した後期を区別することもある。

が、最近の研究では、綱吉の政治を一貫性のあるものとして捉える見方が有力だという。

綱吉の意図は、専制君主の気まぐれではなく、元禄時代になお存在していた殺伐とした気風を教化し、「仁心」を植え付けようというものだったというのだ。

町奉行。現在でいえば、東京都知事と東京高等裁判所判事と警視総監を兼務するようなもので、行政・司法・警察の三権を併せ持つ非常に重い役職だったという。

このうち、警察に相当する犯罪の捜査だけをみると、町奉行所の警察組織は、定町廻、臨時廻、隠密廻の三廻の同心が行い、定町廻は南北町奉行所に各六名、臨時廻も同じで、隠密廻は南北町奉行所に各二名、合計二十八名だけだった。

これが、江戸時代のどの時点でのことなのかは明記されていないが、少なかったのは確かである。

これでは少なすぎるので、「目明」と呼ばれる者たちが登場する。岡っ引きや御用聞き、手先ともいわれ、時代や地方、縄張りとする場所でも呼ばれ方が違ったようであるが、いわゆる捕物帳の小説などで活躍する親分連中のことである。これが、小説などで語られるような正義のヒーローというのはあまりなかったようだ。

現代の警察とやくざを兼ね備えたような存在だったというから、やっかいなものである。

最近の小説では、こうした点を言及しながらも、まっとうな「親分」を描いている作品が増えてきている。

幕末の幕府。薩・長・土・肥を中核とした軍事力の前に敗北することになるが、実はこの時の幕府の軍事力は、直轄軍の装備や数の点からも負けるはずのない軍事力を有していた。

脆弱な幕府軍のイメージがあるが、決してそんなことはなかったのである。

参勤交代ではトラブルがよくあったらしい。大田南畝の「半日閑話」には相馬藩と会津藩の間であったトラブルが書かれている。

この時の模様を小説化している作品がある。佐藤雅美槍持ち佐五平の首」である。

本書でもっとも興味を惹かれたのが「鎖国令」のくだり。

「鎖国令」はあくまでも後世の研究者が便宜的につけた名称に過ぎないという。ある日突然「鎖国令」が出されて国を閉ざしたのではない。そもそも「鎖国」という言葉が初めて使われたのは、十九世紀になってからだそうだ。

江戸時代は朝鮮との国交もあり、貿易も盛んだったという。「鎖国」が完成したといわれる徳川家光の時代は、内政以上に外交が重んじられた大外交時代だった。

「鎖国令」とされるポイントとなる法令が五つある。寛永十年の奉書船以外の海外渡航を禁止、寛永十一年の海外との往来や通商を制限、寛永十二年の日本戦の海外渡航・帰国の禁止、寛永十三年のポルトガル人の子孫を追放、寛永十六年のポルトガル船の来航を禁止の五つである。

このうち、前の四つと、最後の一つは性質が異なるという。前の四つは幕府が長崎奉行に与えた指示に過ぎず、全国に通達されたものではなかった。

が、最後のは四国・九州の大名を中心に指示する広範な性質に変わっているという。これはこの令が出される直前に起きた島原・天草一揆が影響している。

当時の幕府は切支丹とポルトガルが結びついていると見ていた。この事件で幕府は切支丹を幕藩体制を覆すカルト集団とみなすようになったのだ。だから、最後の法令は対ポルトガル戦に備えた「有事立法」にほかならないのだ。

やがて、これがポルトガル船のみを対象にしていたことが忘れ去られ、中国からの私貿易船が増えたため、これへの対処に迫られるようになり、さらには十九世紀の異国船打払い令へと受け継がれてしまったのだという。

より広い視点で、東アジアをみると、日本の鎖国に類似した政策がとられていたことに気がつく。明や朝鮮が「海禁」とよばれる他国との付き合いを制限する体制をとっており、日本だけが特殊だったわけではない。

最後に、「鎖国」とはあくまでも対ポルトガル政策から始まったもので、他の国、とりわけアジア諸国に対する対応は変わっておらず、現在通用している「鎖国」という学術用語は「外国とは欧米である」という偏った対外観によって定着した用語であるというのは示唆に富んでいる言及だと思う。

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本書について

学校では習わない江戸時代
山本博文
新潮文庫 約二四五頁
解説書

目次

はしがき
序章
第一章 江戸人たちの息づかい
「江戸学」で読む藤沢周平の世界
「歌舞伎」にもなった伊達騒動の謎
「葉隠」に見る武士道の光と陰
「近松門左衛門」は恋愛の発見者
第二章 武士たちの意地と処世
赤穂浪士と武士の気風
城明け渡しと武士の作法
贈り物と武士の才覚
江戸留守居役と武士の交渉
月番勤務と武士のワークシェアリング
第三章 江戸の仕組みに隠れた本音
司法制度-奉行も勝手はままならず
危機管理-武威は国家のイデオロギー
参勤交代-トラブル頻発の実態
地方自治-ルーツは一揆の時代にあり
第四章 徳川三百年の外交を読みかえる
「鎖国令」は存在しなかった
「朝鮮通信使」という大イベント
「開国」で逆転した朝幕関係
「長崎」で繰り広げられた情報戦争
終章
あとがき