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玉藻稲荷神社の参詣記-歴史と見どころは?(栃木県大田原市)九尾の狐の伝説

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那須には九尾の狐にまつわる伝説がいくつかあります。

もっとも有名なのは、那須岳の殺生石です。もう一つの伝説の地が本社です。

あらかじめ本社を目指してこないと、通り過ぎてしまいます。

田園風景に溶け込みすぎて、伝説の地とは思えないからです。もちろん車でないと来られません。

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「九尾の狐」伝説を伝える神社

この神社は隠れた「九尾の狐」伝説にまつわる神社です。稲荷信仰なのは、九尾の狐だからなのでしょう。

本社の参拝だけではもったいないので、ぜひ殺生石も訪れたいところです。

殺生石の訪問記-歴史と見どころ紹介(栃木県那須町)九尾の狐が閉じ込められているという伝説の地
九尾の狐の伝説の地 九尾の狐の伝説は、那須野が原で討たれて終わります。 この「那須野が原」という言葉がもたらすのは、広々とした草原かもしれません。 しかし、実際に殺生石があるのは、那須岳への中腹です。 つまりは、那須高原のど真ん中なのです。...

殺生石に隣接する那須温泉神社には九尾稲荷神社があります。九尾の狐にゆかりのある神社なので、こちらも訪れたいところです。

【式内社】那須温泉神社の参詣記-歴史と見どころ紹介(栃木県那須町)殺生石に隣接する古社
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大田原市のホームページより

昔、狐の化身でありながらもその麗美な姿のため、帝にたいへん寵愛された玉藻の前という美女がいました。しかし、帝が病気の折の祈祷でその正体をあらわにした九尾の狐は、この地に逃げ込み、蝉に身をかえ桜の木の陰に隠れていたのですが、池(鏡が池)に映った真の姿を見つけられ討たれてしまったということです。鏡が池は、今もなお清らかな湧き水をたたえ、その名にふさわしく、水面に緑深き風景を映し出しながらひっそりと広がっています。

https://www.ohtawara.info/spot/tamamo.html
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玉藻稲荷神社の見どころ

神社の入り口。入り口のところのスペースに駐車をするのがオススメです。

正直、どこまでが境内で、どこからが農地なのかがわかりません。

ここは、お稲荷さんと称える作神さまと玉藻の前(九尾の狐)の神霊とを祭った由緒深い社である。

宝前の社殿改建記念碑と石の鳥居の柱にいわれなどが記してある。

建久四年(一一九三)源頼朝が那須遊猟のとき、この社に参詣したという伝えがある。また元禄二年四月十二日(陽暦五月三十日一六八九)松尾芭蕉は、この篠原の地を訪れている。「おくのほそ道」に

「ひとひ郊外逍遥して、犬追物の跡を一見し那須の篠原をわけて、玉藻の前の古墳をとふ。」とある。

境内に芭蕉の句碑「秣おふ・・・」と源実朝の歌碑「武士の矢並みつくろふ・・・」がある。また九尾の狐退治の伝承地としての「鏡が池」と「狐塚」の霊を移したという祠がある。なお「狐塚址」はここより北東の地の県道沿いにある。

芭蕉の里 羽黒町

参道

右手は農地。本当に田園風景の中にある神社です。(正直)辺鄙なところにある神社の割に整備されているのは、地元の方々の努力の賜物です。

鏡が池

この池に蝉に化けていた九尾の狐の本当の姿が映ったそうです。

湧き水だといいますが、参拝した時は、ほぼ池は枯れていました。

また、以前は注連縄が張られていたようですが、この時にはありませんでした。

三浦介義明が九尾の狐を追跡中姿を見失ってしまったが、この池のほとりに立ってあたりを見まわしたところ池の面近くに延びた桜の木の枝に蝉の姿に化けている狐の正体が池にうつったので三浦介は難なく九尾の狐を狩ったと伝えられ、これが鏡が池と呼ばれるようになったという。

玉藻稲荷神社の境内案内板

鳥居と拝殿・本殿

玉藻稲荷神社の概要

項目内容
創建
主祭神宇迦之御魂神、倉稲魂命(うかのみたま)
社格等古代社格制度
中世社格制度
近代社格制度
現代の制度
その他
備考

地図

〒324-0244 栃木県大田原市蜂巣709 玉藻稲荷神社