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日光奉行所跡の歴史と見どころ紹介(栃木県日光市)江戸時代の遠国奉行のひとつ

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日光奉行所跡石碑
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日光奉行所跡

日光奉行所跡です。青龍神社と金谷ホテル創業の地の間にあります。

日光奉行は江戸幕府の遠国(おんごく)奉行の一つです。日光に置かれました。

老中の支配に属し、徳川家康を祭る東照宮、徳川家光の大猷院廟の経営、日光山の年中行事などいっさいのことをつかさどり、日光町の政務、上野、下野2国の公事訴訟もつかさどりました。

幕府は慶安元年(1648年)ごろより目付を1人在勤させ、日光東照宮の警備と山中の監察に当てていました。

3代将軍徳川家光の没後、梶定良が大猷院廟定番となり、日光山を管轄しました。

しかし、承応元年(1652年)以来の日光山守護・梶定良が元禄11年(1698年)に死去します。

目付が派遣されましたが、1700年(元禄13)これを廃止し日光奉行を創設します。

寛政3年(1791年)不正のため日光目代の山口氏が罷免されます。

以降は日光目代の神領支配権は日光奉行が職権を兼務し日光領を直接支配しました。

定員2人。役高2000石、役料500俵。配下に、組頭、吟味役、御殿番、同心などがいました。他に組頭配下に神馬別当、掃除頭、山内七ヶ所番所同心、大沢御殿番がありました。

当初は半年交代勤務でしたが、寛政2年(1790年)より在勤1年交代となります。文久2年(1862年)以後は定員1名、一時期2名のときもありました。

明治元年(1868年)神領は新政府のもとで下野県知事支配となりました。

宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。
日光奉行所跡

幕末時点の遠国奉行

遠国奉行(おんごくぶぎょう)は、江戸幕府の役職の一つです。

江戸以外の幕府直轄領の中で重要な場所に置かれました。

遠国奉行首座は長崎奉行です。

伏見奉行は大名から、他は旗本から任ぜられました。

  • 京都町奉行(町奉行)
  • 大坂町奉行(町奉行)
  • 駿府町奉行(町奉行)
  • 長崎奉行
  • 伏見奉行(大名から任ぜられる)
  • 山田奉行
  • 日光奉行
  • 奈良奉行
  • 堺奉行
  • 佐渡奉行
  • 浦賀奉行
  • 下田奉行
  • 新潟奉行
  • 箱館奉行
  • 神奈川奉行
  • 兵庫奉行

地図

住所 日光市安川町10-24 周辺

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青龍神社

日光の青龍神社の社号標

日光の青龍神社

弘法大師空海の弟子が仏法の守護として、京都醍醐の青龍神を移し祀ったといわれているそうです。

祭神:大海津見命

日光の青龍神社の案内板
日光の青龍神社の説明版
日光の青龍神社の鳥居
日光の青龍神社の参道

地図

金谷ホテル創業の地

金谷ホテル創業の地 

金谷ホテル創業の地

金谷ホテル創業の地
金谷ホテル創業の地 

地図