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篤姫

史跡・遺跡

江戸城(江城、千代田城)の訪城記-歴史と見どころは?(東京都千代田区)現在の皇居[国の特別史跡]

東京はこの江戸城を中心にして発展しました。現在の皇居です。千代田城とも呼ばれます。 時代小説の多くは、江戸時代を舞台にしますが、多くの時代小説に登場する江戸城を一度は訪れると良いと思います。 時代小説の世界観がより身近に感じられるようになる...
作家あ行

安藤優一郎の「江戸城・大奥の秘密」を読んだ感想

覚書/感想/コメント 大奥というのは実際にどんな空間であったかというのは今もって(本書は2007年出版)よく分からないのが実情だという。 大奥に勤める女性は、御杉戸から内のことは他言しないという誓紙提出が義務づけられており、この守秘義務が大...
作家は行

畑尚子の「幕末の大奥 天璋院と薩摩藩」を読んだ感想

「はじめに」に述べられているが、著者が天璋院に出会ったのは宮尾登美子氏の「天璋院篤姫」によってだったという。小説「天璋院篤姫」が刊行された昭和五十九年当時は、大奥の研究が停滞期にあった頃で、明治期に出版された「旧事諮問録」「千代田城大奥」といった聞書きと、三田村鳶魚の「御殿女中」が大奥研究のバイブルであり、研究はその域を出ないとされていた時分だったようだ。
作家さ行

鈴木由紀子の「最後の大奥 天璋院篤姫と和宮」を読んだ感想

幕末に徳川家に嫁いできた二人の女性。13代将軍家定の正室・篤姫(剃髪後は天璋院)と14代将軍家茂の正室・和宮(剃髪後は静寛院宮)である。二人とも短い結婚生活で夫に先立たれており、後ろ盾となる身内もなくしている。本書はこの二人のうち、篤姫にスポットを当てている。
作家ま行

宮尾登美子の「天璋院篤姫」を読んだ感想とあらすじ

十三代将軍徳川家定の御台所(正室)で、その後江戸城の無血開城を迎えるまで大奥を束ねていた天璋院(てんしょういん)篤姫(あつひめ)が主人公の小説。
歴史上の人物

茂姫(広大院)とは? 島津家から最初に将軍家に嫁いだ薩摩藩の姫

島津重豪に娘が生まれたら、徳川一門と縁組みさせるように遺言して竹姫は亡くなり、重豪に娘が誕生します。重豪の娘の幼名はお篤、その後に茂姫と改めます。後の広大院です。
日本史

江戸城の「大奥」は、どのようなところだったのか

「大奥」は諸大名の奥向を指すこともあるのですが、いつの間にか将軍家(柳営)の奥向のみを指すという間違った認識が形成されていったようです。
歴史上の人物

天璋院篤姫とは?幕末の薩摩藩から将軍家に輿入れした御台様の生涯

天璋院とは、夫であった十三代将軍徳川家定(一八二四~一八五八)が亡くなったことによって与えられた院号である。 生まれた時は「於一(おかつ(一子:かつこ))」と命名され、島津宗家の養子となった時に「篤姫」と改めて幕府に実子として届けられた。
歴史上の人物

竹姫(浄岸院)とは?五代将軍綱吉の養女と薩摩藩の関係

薩摩藩と将軍家の結びつきを語る上で、必ず登場するのが竹姫である。そして、この竹姫が強めた薩摩藩と将軍家との繋がりこそが、後に篤姫(天璋院)が十三代将軍家定の正室になるための布石となる。
歴史上の人物

調所広郷とは?幕末薩摩藩の回天資金を創り出した男

調所広郷こそが、(これもまた本人の意図とは違っているようだが)薩摩藩を幕末期に躍動するための回天資金を用意した人であり、調所広郷がいなければ幕末の薩摩の活動はあり得なかった。
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