篤姫

史跡・遺跡

江戸城跡(江城、千代田城)の歴史と見どころ紹介(東京都千代田区)現在の皇居[国の特別史跡]

900年の歴史を積み重ねた日本最大の城 江戸の街の中心にある江戸城。千代田城とも呼ばれます。 最初にここに城を築いたのは平氏の秩父氏から別れた江戸氏で平安時代の1150年頃と言われます。遺構が見つかっていませんが、本丸...
作家あ行

安藤優一郎の「江戸城・大奥の秘密」を読んだ感想

覚書/感想/コメント 大奥というのは実際にどんな空間であったかというのは今もって(本書は2007年出版)よく分からないのが実情だという。 大奥に勤める女性は、御杉戸から内のことは他言しないという誓紙提出が義務づけられて...
作家は行

畑尚子の「幕末の大奥 天璋院と薩摩藩」を読んだ感想

「はじめに」に述べられているが、著者が天璋院に出会ったのは宮尾登美子氏の「天璋院篤姫」によってだったという。小説「天璋院篤姫」が刊行された昭和五十九年当時は、大奥の研究が停滞期にあった頃で、明治期に出版された「旧事諮問録」「千代田城大奥」といった聞書きと、三田村鳶魚の「御殿女中」が大奥研究のバイブルであり、研究はその域を出ないとされていた時分だったようだ。
作家さ行

鈴木由紀子の「最後の大奥 天璋院篤姫と和宮」を読んだ感想

幕末に徳川家に嫁いできた二人の女性。13代将軍家定の正室・篤姫(剃髪後は天璋院)と14代将軍家茂の正室・和宮(剃髪後は静寛院宮)である。二人とも短い結婚生活で夫に先立たれており、後ろ盾となる身内もなくしている。本書はこの二人のうち、篤姫にスポットを当てている。
4) 面白い

宮尾登美子の「天璋院篤姫」を読んだ感想とあらすじ

十三代将軍徳川家定の御台所(正室)で、その後江戸城の無血開城を迎えるまで大奥を束ねていた天璋院(てんしょういん)篤姫(あつひめ)が主人公の小説。
歴史上の人物

茂姫(広大院) 島津家から最初に将軍家に嫁いだ薩摩藩の姫

竹姫は将軍家との関係が疎遠になるのを憂いており、島津家の将来のためにも一橋家との縁組みを望んでいた。重豪に娘が生まれたら、徳川一門と縁組みさせるように遺言して竹姫はなくなるが、重豪に娘が誕生する。一橋家にも男子・豊千代が誕生し、竹姫の遺命に従って島津家は一橋家に縁組みを申し入れる。重豪の娘の幼名はお篤、後に茂姫と改める。
日本史

江戸城の「大奥」は、どのようなところだったのか

「大奥」は諸大名の奥向を指すこともあるのですが、いつの間にか将軍家(柳営)の奥向のみを指すという間違った認識が形成されていったようです。
歴史上の人物

天璋院篤姫 幕末の薩摩藩から将軍家に輿入れした御台様の生涯

天璋院とは、夫であった十三代将軍徳川家定(一八二四~一八五八)が亡くなったことによって与えられた院号である。 生まれた時は「於一(おかつ(一子:かつこ))」と命名され、島津宗家の養子となった時に「篤姫」と改めて幕府に実子として届けられた。
歴史上の人物

竹姫と薩摩藩と将軍家:五代将軍綱吉の養女竹姫(浄岸院)

薩摩藩と将軍家の結びつきを語る上で、必ず登場するのが竹姫である。そして、この竹姫が強めた薩摩藩と将軍家との繋がりこそが、後に篤姫(天璋院)が十三代将軍家定の正室になるための布石となる。
歴史上の人物

調所広郷 幕末薩摩藩の回天資金を創り出した男

調所広郷こそが、(これもまた本人の意図とは違っているようだが)薩摩藩を幕末期に躍動するための回天資金を用意した人であり、調所広郷がいなければ幕末の薩摩の活動はあり得なかった。
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