塩野七生の「ローマ人の物語 第7巻 悪名高き皇帝たち」を読んだ感想とあらすじ

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ローマ人の物語 (7) 悪名高き皇帝たち
新潮社
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なんと全部で500頁。奥付によると9月30日の発行。この頃の作者は本当に絶好調・のっていたんだなあ、という感慨を持ちます。本書はある意味、本シリーズの白眉といって過言でない大傑作。第2代皇帝ティベリウスから第5代ネロまで、悪帝と呼ばれた皇帝たちの再評価に取り組み、私がこれまで知らなかった優れた統治者としての一面に光をあててくれます。なかでも、ティベリウス帝とクラウディウス帝。前者に関しては遠い昔に観た映画カリギュラのイメージが微かに頭に残っていて、それまで変態じじいという印象しかなかったのですが、彼の卓越した統治能力、責任感があってこそ、ローマ帝国は磐石になったことが本書でよくわかりました。しかし、閉鎖的な性格ゆえに、ローマから「家出」してカプリ島で執務を行うようになってしまいます。見捨てられたと思ったローマ市民から嫌われたのが、後の悪帝たる評価を作ってしまった原因。つくづくリーダーとは難しいものだと思います。作者は、ティベリウス帝の章の最後で、ローマ皇帝の中で誰よりもティベリウスに共感をいだくという故高坂正堯教授のコメントを紹介し、この章を教授に捧げています。感動的です。それだけ作者はティベリウス帝に思い入れがあるのでしょう。しかし、閉鎖的な性格・人間嫌いという、あまりに人間的な弱点を持っていた点も事実。同じような性格だと自覚している私にとって身につまされる話でした。

カエサルに始まり、アウグストゥスが確立した帝政ローマ。教科書的にはアウグストゥスが初代とされるが、その初期帝政期においてユリウス=クラウディウス朝と呼ばれた皇帝たちを書いているのが本書。

扱われる皇帝は、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロである。

この時期の皇帝たちは、タキトゥスやスヴェトニウスの著述によって、そしてその記述を歓迎した後世のキリスト教徒の観点から忌み嫌われた。

特にネロは最悪の皇帝として、最も有名になってしまっている。だが、本書を読めば分かるが、この時期の皇帝たちは、必ずしも悪逆非道な存在ではなかった。

「悪名高き皇帝たち」になってしまったのは、後世のキリスト教徒たちによってであり、この時期の皇帝たちはキリスト教徒ではなかったし、まだ生まれたばかりのキリスト教はユダヤ教の一分派としてしか認識されない微々たる存在だったのだ。

塩野氏が度々述べるように、このローマという世界は、キリスト教の影響を受けていない人物たちによって書かれた方が、より鮮やかにその本来の姿を浮かび上がらせるような気がする。

それは、本書以降ますます顕著になるだろう。なぜなら、キリスト教徒がローマを覆い尽くし始めるからである。

第一部 ティベリウス

ティベリウスは紀元二七から死までの十年間、カプリ島で統治し続けた。ローマ帝国はカエサルが青写真を引き、アウグストゥスが構築し、ティベリウスの統治を経て盤石となっていく…。

アウグストゥスはティベリウスを養子にして、自分の姉の子ゲルマニクスをティベリウスの養子に迎えさせていた。ティベリウスの次はゲルマニクスだと明言したのだ。ローマ帝国の最高統治者は創業者であるアウグストゥスの血を引くものでなければならないと宣言したのだ。

ティベリウスはクラウディウス一門の直系であったが、アウグストゥスの養子となってからは、ティベリウス・ユリウス・カエサルと著名したという。ユリウス一門の人間になったとの意思表示だ。

ティベリウスには自分が継ごうとしているローマ帝国最高統治者の立場が、いかに不明瞭なものであるかを分かっていた。正式に就任するには、前任者の指名だけでなく、元老院とローマ市民の双方の承認が必要だった。

ローマ抵抗の統治権につきまとった特色である。ローマの皇帝は天から降りてきたのではなく、人びとの承認を得て存在理由を獲得できた存在だった。

就任前後に危機が起きる。ドナウ河防衛線を守るパンノニア駐屯の三軍団と、ライン河防衛担当の八個軍団の反乱である。待遇改善を要求してのストライキだ。軍団の反乱にはゲルマニクスとドゥルーススをあたらせた。

五十五歳で就任したティベリウスは、初めから一貫して人気取り政策には関心を見せなかった。その代わり、ティベリウスはアウグストゥスが残した帝政を、後に誰が手を加えようにも基本形は変えるのが不可能なくらい堅固なものにしたのだ。

まずは、財政再建が急務であった。税金の値上げなしでやらねばならない。必然、緊縮財政しか道は残されていなかった。だが、単なる無駄か、必要不可欠でないとされた分野の経費を削減をしただけで、不景気になるようなことはなかった。

また、ティベリウスは国境をエルベ河からライン河に戻すことにしたようである。ようであるというのは、ティベリウスが直に指示した形跡がないためであるが、ティベリウスのあとを継いだカリグラが何もしていないのだから、ティベリウスが決めたとしかいいようがない。

ゲルマニクスを東方へ派遣した。すべてが順調にいっているようだったが、ゲルマニクスとシリア属州総督のピソの仲が険悪化した。ゲルマニクスはこの中で病に倒れて死ぬ。その頃、西方ではドゥルーススによってドナウ河防衛線が確立しつつあった。そのドゥルーススも急死する。

ゲルマニクスとドゥルーススの死によって後継を考える必要に迫られた。ここでアウグストゥスの孫娘アグリッピーナが登場してくる。

ティベリウスは巧妙な人選に定評がある。能力第一主義により、ティベリウスの後に続く皇帝の能力にかかわらず、軍事と属州統治の担当者に優秀な人材が集まっていた。

ティベリウスがカプリに隠遁した。塩野氏は「家出」と評している。このカプリとローマを繋ぐ手足として近衛軍団の長官セイアヌスが選ばれた。

が、やがてこのセイアヌスも除かれる時が来る。そして、このカプリでの隠遁によって、現代のナポリっ子ですら信じている「ティベリウス伝説」が生まれる。

ティベリウスは何一つ新しい政治を行わなかったが、新しい政治を行わなかったことにこそ重要性がある。アウグストゥスの構築した帝政を堅固にするにのみ専念したからこそ、誰が継ごうと盤石たりえたのだ。

ノーベル文学賞をも受賞した十九世紀の歴史家モムゼンはティベリウスを「ローマがもった最良の皇帝の一人」と評している。

第二部 カリグラ-本名 ガイウス・カエサル-

七十七歳の皇帝の後を継いだのは、神君アウグストゥスの血を引く二十四歳の若者だった。ローマの皇帝には戴冠式はない。市民中の第一人者というのが建前のため、冠がないのだ。

カリグラはティベリウスから受け継いだ二億七千万セステルティウスの黒字があった。ティベリウスの時とは逆に人気が高まること請け合いの派手な事柄を行った。帝国にとって幸せな例外事項はカリグラがティベリウスが決めた人事をほとんど動かさなかったことであろう。

カリグラが即位して三年も過ぎないうちに皇帝の私有財産はもちろんのこと、国家の財政の破綻までもが明らかになった。金策のために属州巡行を行ったが失敗に終わり、ついに裕福な人びとからとりあげはじめた。

そしてカリグラの治世は国家財政の破綻を生んだだけでなく、外政面でもひび割れが始まっていた。

第三部 クラウディウス

クラウディウスにもアウグストゥスの血が流れていたが、年少のカリグラの方が先に皇帝になっていた。

カリグラが殺されることがなければ、クラウディウスの一生は「歴史」に埋まったままであったはずである。五十歳までに蓄積したのは、歴史の知識だった。歴史家皇帝の誕生である。

まずカリグラの浪費で破綻状態にある国家財政の再建が急務である。出費は削らず、増税もしないで国家財政の再建を考え実行した。クラウディウスが即位するまでの三十年間の平和とインフラの充実により、国家の経済力は向上していた。財政再建も税の自然増収に立脚できるほどに経済圏が機能していた。

外政面の失策も課題であった。北アフリカのマウリタニア王国問題、ユダヤ問題、ブリタニア問題である。

このクラウディウスを助けるのに秘書官システムを用いていた。誰もが予想していなかった皇帝の即位のため、クラウディウスにはこの手のことに精通している人間がまわりにいなかったのである。必然として自家の使用人たちに頼るしかない。

ドイツの大歴史家モムゼンによって行われた碑文の集録と刊行によって、ローマ皇帝たちの非著名な史実、つまりは通常の行政の成果までがしれるようになった。こうした努力がやがてティベリウスやクラウディウスの復権にもつながっていくことになる。

クラウディウスは軽く見られる質の皇帝だったようで、秘書官のみならず、女たちにも軽く見られていた。

こうしたクラウディウスであったが、後代の歴史家たちからローマ文明が人類に遺した教訓の一つとまで称賛されることになる有名な演説を行った。

そしてそれに基づいて政策を実施していった。「…諸君、今われわれが態度表明を迫られているガリア人への門戸開放も、いずれはローマの伝統の一つになるのだ。…」ユリウス・カエサルの精神を再興したのだ。

ここに来て、ローマ史も、権力者の妻になるくらいでは満足せず、自ら政治をしようと決めた女人の登場を迎える。三十四歳になっていたアグリッピーナである。

第四部 ネロ

皇帝に即位した時ネロは十六歳であった。ネロをセネカらが補佐していた。

東方にはパルティという強国が常にローマを虎視眈々と狙っていた。ローマ軍はパルティア相手には勝ったことがなかった。パルティアはローマの皇帝が力が弱まったと判断した時にアルメニア王国へ侵略して問題を起こしていた。

東方にセネカはコルブロを派遣した。この東方のパルティア問題はのちにコルブロの意外な方法によって解決を見ることになる。

母アグリッピーナの野望は完璧に実現したかに見えたが、ネロが母へ反抗し始めた。やがてネロ即位から一年足らずでアグリッピーナは影響力のすべてを失うことになる。

ネロは二つに分れていた国庫の一本化に成功していたらしい。皇帝属州分と元老院属州分の統合である。経済政策では他にも間接税全廃の提案を行い、通貨改革を行った。

二十歳をすぎ、ネロは一人の女に恋をした。これがやがては母殺しへとつながっていくことになる。

セネカが引退した。これによってネロに直言できる人はいなくなった。

ローマで大火が起き、この再建にネロは一生懸命となったが、やりかたに一部まずい所があり、支持率は急落することになる。そこでネロが行ったのが放火犯捜しであり、それにキリスト教徒があてられた。

こうした中、歴史上「ピソの陰謀」と呼ばれるネロ殺害の陰謀が発覚する。開放的であったネロも心を固くした。そしてネロの立場は急坂を転がり落ちるように悪化していく。

この時期を描いた映画として有名なのが「ベン・ハー」である。

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本書について

塩野七生
ローマ人の物語7
悪名高き皇帝たち
新潮文庫 計約八八〇頁

目次

第一部 ティベリウス
(在位、紀元一四年九月十七日-三七年三月十六日)
カプリ島/皇帝即位/軍団蜂起/ゲルマニクス/公衆安全/緊縮財政/ゲルマニア撤退/ライン河防衛体制/東方問題/ゲルマニクス、東方へ/総督ピソ/ドナウ河防衛体制/ゲルマニクスの死/ピソ裁判/アグリッピーナ/砂漠の民/ドゥルイデス教/宗教観/災害対策/息子の死/安全保障/家族との関係/元老院との関係/カプリ隠遁/セイアヌス/アグリッピーナ派の一掃/セイアヌス破滅/ゴシップ/金融危機/最後の日々
第二部 カリグラ-本名 ガイウス・カエサル-
(在位、紀元三七年三月十八日-四一年一月二十四日)
若き新皇帝/生立ち/治世のスタート/大病/神に/快楽/金策/ガリアへ/ローマ人とユダヤ人/ギリシア人とユダヤ人/ティベリウスとユダヤ人/カリグラとユダヤ人/力の対決/反カリグラの動き/殺害
第三部 クラウディウス
(在位、紀元四一年一月二十四日-五四年十月十三日)
予期せぬ皇位/歴史家皇帝/治世のスタート/信頼の回復/北アフリカ/ユダヤ問題/ブリタニア遠征/秘書官システム/皇妃メッサリーナ/国勢調査/郵便制度/「クラウディウス港」/メッサリーナの破滅/開国路線/奴隷解放規制法/アグリッピーナの野望/哲学者セネカ/ネロの登場/晩年のクラウディウス/死
第四部 ネロ
(在位、紀元五四年十月十三日-六八年六月九日)
ティーンエイジャーの皇帝/強国パルティア/コルブロ起用/母への反抗/治世のスタート/経済政策/アルメニア戦線/首都攻略/母殺し/「ローマン・オリンピック」/ブリタニア問題/アルメニア・パルティア問題/セネカ退場/ローマ軍の降伏/その間、ローマでは/外交戦/問題解決/歌手デビュー/ローマの大火/再建/ドムス・アウレア/キリスト教徒・迫害/歌う皇帝/ピソの陰謀/青年将校たち/ギリシアへの旅/司令官たちの死/凱旋式/憂国/決起/「国家の敵」
〔付記〕
なぜ、自らもローマ人であるタキトゥスやスヴェトニウスは、ローマ皇帝たちを悪く書いたのか

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