佐伯泰英の「吉原裏同心 第10巻 沽券」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

沽券: 吉原裏同心 10 長編時代小説 (光文社文庫 さ 18-23 光文社時代小説文庫)
光文社
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沽券―吉原裏同心〈10〉 (光文社時代小説文庫) [文庫] [Oct 09, 2008] 佐伯 泰英

シリーズ第十弾。シリーズもいよいよ大台の十弾。

物語は元旦から正月十五日までを描いている。十五日の小正月は藪入りである。

キリが良いから、というわけではなさそうだが、新展開の予感である。それは、本作で登場する一興堂風庵という謎の人物の存在である。

一興堂風庵という謎の老人は、江戸の出であるようだが、京島原と関連があり、田沼派の残党と目される大老の井伊直幸とも何かしらの関係がある。

一興堂風庵が登場した今回で見えてくるのは、田沼派の残党vs松平定信、そして吉原vs京島原の図式である。

これが軸となっていくのだろうが、この図式以外にも、もう一つ別の図式を考えているのではないかと思っている。

もう一つの図式があるかどうかはともかくかくとして、当面の敵になりそうなのが井伊家である。

井伊家といえば「赤備え」で有名である。

もともと赤備えは武田騎馬軍団の象徴であったが、武田家滅亡後、武田家臣を徳川家康が組み込み、それを井伊直政に預け、井伊家が武田家に習って赤備えにしたのが始まり。そして、井伊の赤備えを世に知らしめたのは、小牧・長久手の戦いでのことだった。

赤備えとは文字通り、赤で武具を統一することをいうが、これは戦場でとても目立つものであるから、標的にされやすい。標的にされやすいことを知りつつ、赤備えにするのだから、よほどの自信がなければならない。つまり、赤備えは強さの証明でもあった。

さて、物語の冒頭で浅草寺が出てくる。

金竜山ともいわれる、天台宗浅草寺は聖観音宗総本山である。

創建は、推古天皇三十六年三月十八日。隅田川(宮戸川といった)のほとりに住む漁師の檜前浜成・竹成兄弟が、網にかかった金色の観音像を主人の土師中知屋敷に安置したことに始まるといわれている。

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内容/あらすじ/ネタバレ

天明八年(一七八八)正月元旦。

神守幹次郎と汀女は金竜山浅草寺にお参りに行く前に吉原の焼け跡に立ち寄った。吉原会所の七代目の四郎兵衛と玉藻親子がおり、吉原の正月の習慣である、羮という雑煮を食べる習しに誘ってくれた。

浅草寺は初詣の客でにぎわっていた。そこに掏摸が現われた。

それを捕まえた神守幹次郎だったが、その姿を人混みの中で見つめ、覚えておけ、娘と娘婿の仇を討たずにおくものか、と吐き捨てた老人がいた。

足田甚吉が相模屋が引手茶屋の権利を売ったという噂があるといった。それは本当だと番方の仙右衛門がいった。他にもそうした所があるという。

ただ、気がかりなのは、買い取った人物が未だどれ一つとして判然としないことである。

沽券の書き換えには会所が関わるのが習わしだが、同席しなければならないという決まりはない。

そして、吉原では一楼一主というのが決まりであるが、抜け道がないでもない。代理人を立てることである。

幹次郎はおはつにあって、相模屋の一件を確かめた。おはつは番頭の早蔵にあってきくと、主人一家が仮住まいから姿を消したといって困惑していたという。

早速、早蔵に聞きに行くと、主人一家が消えたのは大晦日の夜だという。他で聞き込みをすると、相模屋の旦那が上方訛りの、なりのいい年寄と話し込んでいたことがわかった。

身代わりの佐吉に幹次郎は相談を持ち込んだ。左吉は、なりのいい年寄が、吉原再建の水面下で買い取りを続け、再建された吉原に乗り込む算段と見ていた。気が付いたら、四郎兵衛が度肝を抜くような一大勢力が生まれるかもしれない。

この後、幹次郎は小僧の竹松との約束を確認しあった。

神守幹次郎は下谷山崎町の香取神道流津島傳兵衛道場に年賀の挨拶に立ち寄った。

津島は最近、町道場でその腕を買おうという人物が現われていることを話した。武芸者を同行させた人物は西江牛窓という。また武芸者は小野派一刀流の流れを汲む加治平無十次という。

幹次郎が牡丹屋に戻ると、番方仙右衛門、小頭長吉らが顔を揃えていた。今日一日売りに出されていた所を調べていたのだ。

そうした所、品川宿の高札場の親分こと太吉の手先がやってきて、二人の刺殺体があがり、それに相模屋周左衛門と記された書付があったというのだ。

どうやら殺されたのは相模屋夫婦で、娘のおこうとおさんの二人は行方知れずである。

こうなったら、他の売りに出ている店を止める必要がある。

駿河屋の女将・お栄は一興堂風庵という名を呟いた。その人物が駿河屋の引手茶屋を買い取る人物である。

しかも、この一興堂風庵と同じ風体をした者が他の店にもあらわれている所を見ると、影武者のような者がいるらしい。

幹次郎は一興堂風庵が沽券を集めて、吉原の乗っ取りを企んでいるほかに、何か別の目的があるのではないかと思った。

三浦屋で四郎左衛門の挨拶を受けた幹次郎は、薄墨太夫が、日本橋魚河岸の老舗問屋伊勢半の隠居桐左衛門から無理を言われたと聞かされた。その座敷にいたのが一興堂風庵だったという。

そして、薄墨太夫は一興堂風庵が出は江戸であれ、京島原と繋がりのある人物に思えるといった。

幹次郎と身代りの左吉は鉄砲洲河岸に向かった。そこで才蔵という荷船の船頭に話を聞き、一味が讃岐屋の別邸にいることがわかった。

幹次郎は薄墨太夫に一興堂風庵を紹介した隠居の桐左衛門を訪ねた。

そして、桐左衛門は幹次郎から話を聞くと、非常に驚き、半日だけ時間をくれといった。それは桐左衛門に一興堂風庵を紹介した人物に真意を問うためのものだった。

その人物とは庵原実左衛門、彦根藩井伊家武芸館総裁である。

足田甚吉が、相模屋にいた男衆の吉之助が使いにやらされてから帰ってきていないといった。だが、その姿をおはつが千住宿で見たという。

それに、相模屋には幾ばくかの蓄財があったはずなのに、沽券を売り渡すのは何とも納得しがたいともいった。

彦根藩主井伊直幸は大老にして田沼派の残党の一人と目されている。

田沼意次一派と吉原はこれまでも数々の暗闘を繰り返し、田沼親子が失脚し、松平定信が改革に乗り出すと、吉原と定信は密なる連携をとることで合意していた。これは、大老井伊家と老中首座の松平定信の代理の戦であった。

七代目四郎兵衛が率いる吉原は田沼残党の井伊大老とその一派に対して戦力をととのえた。

そして、井伊大老の動きを止めることによって、その一派を一掃しようとしていた。

讃岐屋の別邸に神守幹次郎らが行くと、一団が待ちかまえていた。

相模屋の男衆・吉之助が一興堂風庵の手下として働いていたのではないかという思いがある。

幹次郎らは吉之助がいると思われる相模と豆州境の岩村へ向かうことにした。

そしてそこには一興堂風庵一味の北前船が停泊していた。

本書について

佐伯泰英
沽券 吉原裏同心10
光文社文庫 約三二五頁
江戸時代

目次

第一章 焼土の梅
第二章 島原の策謀
第三章 佃島の別邸
第四章 小太刀居合
第五章 真鶴勝負

登場人物

神守幹次郎
汀女
七代目の四郎兵衛…吉原四郎兵衛会所の主、山口巴屋主
玉藻…山口巴屋の女将、四郎兵衛の娘
仙右衛門…番方
長吉…若衆頭
宗吉
金次
薄墨…太夫
三浦屋四郎左衛門…吉原総名主
政吉…牡丹屋の船頭
身代わりの左吉
虎次…一膳飯やの主
竹松…小僧
足田甚吉…岡藩中間、幹次郎の幼馴染
おはつ…甚吉の女房
津島傳兵衛直実…香取神道流
花村栄三郎…師範
重田勝也…門弟
佐久間忠志
坂田権六…陸奥福島藩板倉家の御番頭
明王乗安…東叡山寛永寺門跡付の寺侍
相馬辰緒…北町年番方与力
代田滋三郎…与力
渚静之助…寺社役付同心
相模屋周左衛門
おこう…相模屋の娘
おさん…相模屋の娘
早蔵…相模屋番頭
吉之助…男衆
一興堂風庵(西江牛窓)
加治平無十次
太吉…高札場の親分
玄造
重兵衛…駿河屋主
お栄…駿河屋の女将
桐左衛門…、日本橋魚河岸の老舗問屋伊勢半の隠居
才蔵…荷船の船頭
井伊直幸…彦根藩十二代藩主
庵原実左衛門…彦根藩井伊家武芸館総裁
厩新道の弥五郎…岡っ引き
岡部兼七…北町奉行所隠密方同心
中山草兵衛家忠
樋口十郎兵衛助高
白願和尚…如来寺住職
ちょぼ一の勘太郎

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