宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す 第1巻」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

本書の魅力は豊富な写真が散りばめられている点にあるだろう。写真を見ながら、実際に自分も宮本輝と一緒に旅をしている気分を味わうことが出来る。

日本を出発したのは1995年5月25日で、帰国したのは7月1日の旅である。期限の区切られた旅であるため、体調が悪かろうが良かろうが予定通りに進む。ツアー旅行記みたいなものである。

旅は中国の陝西省の西安から新疆ウイグル自治区南西端のタシュクルガン。そしてパキスタン領に入ってフンザからイスラマバードまでである。

このルートはシルクロードであると同時に、仏教伝来の道でもある。その仏教伝来に大きく寄与した鳩摩羅什を足跡を訪ねるというのが今回の旅の趣旨である。

興味深かった点がいくつかある。まず、中国においては「県」よりも「市」の方が大きな括りとなること。意味合いが日本とは違うのである。

そして、同行している宮本輝の次男・大介が生まれた時、宮本輝は28歳で、先のあてもなく「螢川」を書いていた。

小説の書き方を知らなかった頃の作家・宮本輝の姿を自身の口で語っていたこと。最後に、天水で宮本輝が中国の文化大革命に思いを巡らせたことである。

可笑しかったのが、宮本輝がシルクロードをロマンチックに伝えやがったのは、どこのどいつだと悪態を付くところである。悪態を付きたくなるような旅であることは本書を読めば分かるだろうと思う。

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内容/あらすじ/ネタバレ

第1章 少年よ、歩き出せ

強度のノイローゼで廃人のようになり苦しんでいた時期の宮本輝は、自分を鼓舞する意味で鳩摩羅什の歩いた道をいつか必ず歩いてみせると心に期していた。

それから二十年。ようやく宮本輝は機会を得て、鳩摩羅什が辿った道を旅することになった。

旅の同伴者は、北日本新聞社の大割範孝(ワリちゃん)氏、田中勇人(ハヤトくん)氏、秘書の橋本剛(ハシくん)氏、宮本輝の次男である大介(ダイ)氏、それにガイドである王付明(フーミンちゃん)氏の五人である。

この旅の目的はただ一つ、鳩摩羅什の辿った道を巡ること。これだけである。旅の出発地となる西安では兵馬俑と草堂寺を訪ねた。

第2章 麦の道

5月28日天水を目指して西安を出発した。西安を出発した時点で旅の一行は腹痛に悩まされる。昨日食した涼皮という麺に含まれる水にあたったのだ。

西安を出発して程なくして渭水のほとりに立った。だが、その渭水は何の趣もない、ひからびてよごれた川だった。

憮然としながら出発すると、ポプラ並木に挟まれた道の上には麦の穂が並べられていた。車に轢かせて脱穀させているのだ。

天水に着いたのは深夜だった。これが天水か。麦積の聖地に、太古に天の川の水が天より注がれたと言い伝えられ、三国志の諸葛孔明が軍を置いた歴史の街である。だが、ここはコンクリートに固められた町であった。

第3章 麻雀を考えついた国

5月30日天水を出発した。出発してすぐに黄土高原に入った。文字通り土壌が黄土であり、果てしなく続く高原である。

旅の一行は相変わらず下痢に悩まされていた。それに加えて食堂で出される料理のどれかに必ず耐え難い悪臭を放つものがあることにも悩まされていた。

宮本輝は歯医者の露店を見つけた。歯医者の露店とは、想像もしていなかった商売であった。

一行は蘭州に辿り着いた。巨大な工業都市。そして、汚染された大気は、衛星写真に蘭州の姿を写さなかったくらいひどいものでもあった。

宮本輝は昔重症の結核にかかったために空気の汚れに敏感である。それだけに、憂鬱な感じが付きまとった。

第4章 ターパンツィー

蘭州を出発して武威に着いた。武威は鳩摩羅什が捕われの身となって16年間の幽閉生活をおくった地である。羅什寺
塔という鳩摩羅什の功績を顕彰するために建てられた遺跡がある。

西安を出発してから、ホテル以外で食事する時は「大盆鶏」(ターパンツィー)が一行のメインディッシュとなっている。それは、安心で当たりはずれがない料理であるからである。

旅はゴビ砂漠へと続いていく。

本書について

宮本輝
ひとたびはポプラに臥す1
講談社文庫 約255頁
旅の時期:1995年
旅している地域 : 中国の西安~武威

目次

旅の始まりに
第1章 少年よ、歩き出せ
第2章 麦の道
第3章 麻雀を考えついた国
第4章 ターパンツィー

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