錦市場のにぎわいを覗きに来たのですが、着いた場所がたまたま錦天満宮のそばでしたので参拝しました。
このようなところに神社がありましたので、不思議な感じがしたのですが、こうしてお参りできることも何かの御縁です。
天満宮がある場所ですが、京の台所として知られる錦市場の東端にあります。
市場との関係は深いです。
市場は海外観光客でにぎわっていました。というより、海外観光客以外にいなかったのではないかという感じでした。
ビルにめり込んだ鳥居
鳥居は1935年(昭和10年)に建てられました。
柱の位置だけで道路幅を決めてしまったので、鳥居上部の両端が飛び出てしまいます。
ですが、決められた道路幅を元にビルが建てられたため、上記写真のようにビルの中に鳥居の一部がめり込んでしまったそうです。
錦天満宮の歴史
長保5年(1003年)、菅原道真の父・菅原是善の旧邸菅原院跡地に建てられました。
当天満宮は平安時代前期の十世紀初頭、学問の神となられた菅原道真公(菅公)の生家『菅原院』に創建されました。
http://nishikitenmangu.or.jp/about/
菅公薨去の後、菅原院は『歓喜寺』と寺名に改称、その後、嵯峨天皇の皇子源融公の旧邸六条河原院に移山※1、塩竈宮を鎮守に天満大自在天神をお祀りしました。
(※1)寺院が他の地に移転すること
三百年後、この地は、後に、時宗道場、歓喜光寺と称される京都八幡の善導寺に寄進され、同時に、歓喜寺(菅原院)は『天満宮』に改められ崇敬、奉祀されました。
当錦天満宮は歓喜寺に由来しており、又、菅公聖跡二十五拝※2の第二とされるのはこの伝承によるものです。
(※2)菅原道真公を祀る天満宮の中で、特に由緒の深い二十五社
そして、「歓喜光寺」の創建から274年後、桃山時代天正年間に行われた豊臣秀吉の都市計画によって、時宗四条道場としても有名な「金蓮寺」の敷地に移転。以後400年余、「錦天満宮」として同地に鎮座しております。このような歴史の中、享保十四年(1729年)には前関白輔実公の申請で唐破風獅子口を許され、明治五年(1872年)には神仏分離令によって社が独立。「歓喜光寺」は東山五条へ(後に山科へ)と移り、残された神社は、同年、新京極通開通の際に社地を縮小し、現在に至っております。
約200坪の境内には、京の街のど真ん中にありながら、四季折々の花々が咲き、地中からは良質な名水・錦の水が湧きでております。繁華街唯一の鎮守社として「智恵・学問・商才の神様」「招福・厄除け・災難除けの神様」として霊験あらたかに、近隣の方々をはじめ、国内はもとより、海外からも御参拝いただき親しまれて参りました。
※ 神仏分離については安丸良夫「神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈―」に詳しいです。
菅公聖蹟二十五拝(かんこうせいせきにじゅうごはい)
明治時代に松浦武四郎が25社を選び、「聖蹟二十五拝順拝双六」を作ったことから始まりました。
- 菅原院天満宮神社 京都府京都市上京区烏丸通下立売下ル堀松町408
- 錦天満宮 京都府京都市中京区新京極通四条上ル中之町537 本社
- 菅大臣神社 京都府京都市下京区仏光寺通新町西入ル菅大臣町187-1
- 吉祥院天満宮 京都府京都市南区吉祥院政所町3
- 長岡天満宮 京都府長岡京市開田天神2-15-13
- 與喜天満神社 奈良県桜井市初瀬14
- 威徳天満宮 奈良県吉野郡吉野町吉野山 金峰山寺
- 道明寺天満宮 大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
- 佐太天神宮 大阪府守口市佐太中町7-16-25
- 大阪天満宮 大阪府大阪市北区天神橋2-1-8
- 露天神社 大阪府大阪市北区曾根崎2-5-4
- 福島天満宮 大阪府大阪市福島区福島2-8-1
- 長洲天満宮 兵庫県尼崎市長洲本通3-5-1
- 綱敷天満宮 兵庫県神戸市須磨区天神町2-1-11
- 天神社 兵庫県明石市大蔵天神町8-2511
- 曽根天満宮 兵庫県高砂市曽根町2286-1
- 大塩天満宮 兵庫県姫路市大塩町汐咲1-50
- 滝宮天満宮 香川県綾歌郡綾川町滝宮1314
- 御袖天満宮 広島県尾道市長江1-11-16
- 厳島神社天神社 広島県廿日市市宮島町1-1
- 防府天満宮 山口県防府市松崎町14
- 綱敷天満宮 福岡県福岡市博多区綱場町5-7
- 太宰府天満宮 福岡県太宰府市宰府4-7-1
- 上宮天満宮 大阪府高槻市天神町1-15-5
- 北野天満宮 京都府京都市上京区御前通今出川上ル馬喰町
錦天満宮の見どころ
京都名水「錦の水」。境内の地下30数メートルから汲みだされています。無味・無臭・無菌で飲用に適する良質の井戸水です。
錦天満宮の概略
主祭神 | 菅原道真 |
創建 | 長保5年(1003年) |
札所等 | 菅公聖蹟二十五拝 洛陽天満宮二十五社順拝 |
公式ページ
摂社・末社
塩竈神社
光源氏のモデルとされる源融(みなもととおる)の六条河原院にあった公邸跡に歓喜光寺が創建されました。
源融を祭神とし、創祀されました。
豊臣秀吉による都市改造で、天満天神(後に天満宮)とともに今の場所へ移ってきました。
御祭神 源融(みなもとのとおる)
御神徳 安産
日之出稲荷神社
御祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
御神徳 商売繁盛
白太夫神社
世継ぎのいななかった菅原是善が、伊勢神宮外宮神官だった渡會春彦を通じて伊勢神宮に祈願しました。
すると、菅原道真が生まれたので、渡會春彦は菅原道真の守役となりました。
渡會春彦は若い頃から頭髪が白かったため、「白太夫」と呼ばれており、「白太夫社」として摂社として創祀されるようになったそうです。
御祭神 渡會春彦(わたらいはるひこ)
御神徳 子授け
七社之宮
- 八幡神社 応神天皇…勝負
- 床浦神社 竃神…火よけ
- 竃神社 竃神…火よけ
- 市杵島神社 市杵島姫命…家内安全
- 熊野神社 伊拝再尊
- 恵美須神社 事代主神…商売繁盛
- 事比良神社 大物主神…航海・漁業/少彦名命…抱癒除けの神
錦市場
市場は平安時代に始まります。約1300年の歴史を持つ市場です。
地下水を利用した「降り井戸」で生ものを冷やしていました。
平安時代には、具足小路(ぐそくこうじ)や、くそ小路と呼ばれていましたが、後冷泉天皇が錦小路と改めました。
今では「にしき」という愛称で親しまれ、「京の台所」として知られます。海外の観光客にも人気の場所です。