【式内社】阿彌神社(阿見町竹来)の参詣記-歴史や見どころは?(茨城県稲敷郡阿見町)【論社】

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竹来(たかく)にある阿彌神社です。

延喜式神名帳の常陸国信太郡二座の一社「阿彌神社」の2つの論社の一社です。もう一社は中郷にある阿彌神社です。古代社格制度の常陸国の式内社の論社です。

主祭神は健御雷之男命(タケミカヅチ)です。鹿島神宮の主祭神です。

近くにある古社・楯縫神社と、もう一つの阿彌神社のいずれもフツヌシを祀っています。

フツヌシと言えば、香取神宮の主祭神です。

本社も元々はフツヌシが主祭神だったという説があるようです。

現に、当社は普都大神(ふつおおかみ)降臨の地とされます。フツヌシが降り立ったというのです。近くの楯縫神社はフツヌシが去ったという言い伝えがあります。

フツヌシに関する伝承があるため、楯縫神社と深い関係にあったようです。

古代のパワーバランスの変化で、物部のフツヌシから中臣(=藤原)のタケミカヅチに代わったのかもしれません。

最寄りはJR土浦駅です。約5.3kmあります。バスで近くまで行くのがおススメです。

車で行く場合は、境内に駐車場が無いので注意が必要です。少し離れたところに停めて歩いていくしかありません。

宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。
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阿彌神社(阿見町竹来)の歴史

阿見町指定天然記念物

阿弥神社樹叢(竹来)
昭和五十二年三月二十二日指定

阿弥神社の創建は六〇七年、推古天皇(五九三~六二九)の年代と伝えられる。創建当初より社格の高かった神社であり、この神域を取囲む日本杉の荘厳な樹叢は植樹期に関する確かな文献はないが、伐採した切株の年輪から推定すれば三〇〇年以上の歳月を経ていることは明かである。しかも千数百年の昔より、守護神として郷土の人びとの信仰の的となってきた阿弥神社の尊厳をいやがうえにも支えてきた貴重な樹叢である。

昭和六十年七月一日
阿見町教育委員会

中郷の阿彌神社の創建は和銅元年(708年)です。

竹来の阿彌神社の創建の年代は不詳ですが、いくつか伝承があるようです。

  • 「明治神社誌料」:伝説に拠れば元明天皇和銅年間なり(708-715年)
  • 「新撰名勝地誌」:蓋し和銅の頃なるべしといへり
  • 境内の「阿弥神社樹叢(竹来)」(阿見町教育委員会)の案内板:推古天皇15年(607年)

中郷も竹来も似た時期に建てられたようです。

おそらく周辺には広大な香取海が広がっていたころです。

江戸時代頃から、信太郡では、楯縫神社に次ぐ格式の「二の宮明神」を称しました。信太郡西半の45ヶ村の総社でした。

阿見町名所百選

竹来の阿弥神社

竹来は常陸国風土記の普都大神(ふつおおかみ)降臨の地とされ、当社は中世では庄内第一の惣廟として二の宮明神とよばれた。近世に阿弥神社と改める。社伝によると祭神は武甕槌命である。

本殿は元禄4年(1691)の棟札があり、町内最古の建築である。神域を囲む樹叢町指定文化財である。また境内に吉田麦翠の句碑「湖の風も通うて夏木立」がある。

なお境内の西方に縄文中期の根田貝塚、南方に付近から出土した中世石塔群がある。

阿見町教育委員会
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阿彌神社(阿見町竹来)の見どころ

社号標と一の鳥居

社号標には「縣社延喜式内社二宮」の文字が見えます。

参道

参道の左側を中心に脇に伸びる小道があり、奥にはそれぞれ小さな祠が祀られています。

摂社か末社だとは思いますが、よく分かりません。

手水舎など

拝殿と本殿

神楽殿

境内社など

場所と地図

〒300-0305 茨城県稲敷郡阿見町竹来1366

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