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白河小峰城の訪城記-歴史と見どころ紹介(福島県白河市)江戸時代の宰相・松平定信ゆかりの城[国の史跡]

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白河小峰城の天守閣

JRの白河駅すぐそばにある城です。公共交通機関でも訪れるのが便利なお城です。

白河ラーメンを食べ歩くつもりでしたら、車がおススメです。有名な「とら食堂」は車でないと厳しいからです。

少し足を延ばせば、同じく松平定信ゆかりの南湖公園や、白河の関などがあります。

ちょっとした山越え(というよりは丘越え程度ですが)をすれば、栃木県の那須に出ることができます。

白河と栃木の北の方はとても近いので、那須高原を観光するついでに、九尾の狐の伝説のある殺生石などを見に行くのもおススメです。

小峰城跡【こみねじょうあと】 | 白河市公式ホームページ
宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。

城郭

訪れた時、東日本大震災の影響で、天守には行けませんでした。

ごらんのとおり、石垣が崩れていました。

白河小峰城

日本100名城のひとつであり、国の史跡に指定されています。

結城親朝が14世紀に小峰ヶ岡に城を構えたのがはじまりで、江戸時代の寛永9年(1632)に丹羽長重が4年の歳月を費やして現在の場所に完成させたお城です。

その後、松平定信をはじめ7家21代の大名が居城としました。

東北本線白河駅の北側に位置する小峰ヶ岡と呼ばれる標高370mほどの独立丘陵(東西約450m、南北約80m)を利用して築城した梯郭式(ていかくしき)の平山城(ひらやまじろ)である。本丸はこの丘陵の西端に位置し、周辺の低地との高低差は25~30mほどある。

史跡として指定されているのは本丸および二之丸の一部など約163,000平方メートルであるが、当時の城郭の範囲は約540,000平方メートルの規模と推定されている。

小峰城は、南北朝期の興国・正平年間(1340~1369)に、結城宗広の嫡子親朝(小峰氏を創設)がこの丘陵に城を築いたのが始まりで、その後永正年間(1504~1520)以降に白河結城家の本城となったと推定される。その後天正18年(1590)豊臣秀吉により所領を没収されて、結城家による白河地方の支配は終った。

その後白河は会津領の一部となり、蒲生家や上杉家が領主をつとめ、城代がおかれた。蒲生秀行の時代には城下の整備も行われたと考えられる。寛永4年(1627)に10万石余で棚倉より入封し、初代白河藩主となった丹羽長重が同6年から約4年の歳月をかけて城郭の大改修を行った。

丹羽家以後、榊原、本多、松平(奥平)、松平(結城)、松平(久松)、阿部と7家21代にわたる白河藩主の居城となったが、慶応2年(1866)阿部家が棚倉へ移された後は幕領となり、慶応4年(1868)の戊辰戦争白河口の戦いにより落城した。

城郭の縄張りをみると、丘陵の頂部に本丸を設け、本丸より東側、南側にむけて二之丸、三之丸を設ける。曲輪の周囲には石垣や土塁、大小の堀を巡らし、南に大手門、北に搦手門(尾廻門)、東に田町門・横町門、西に会津門・道場門を設けている。全体としてやや不整な五角形をした城郭である。

現在は、本丸周辺から丘陵部北側の石垣や、堀の一部が残存しているだけであるが、これまで実施されてきた発掘調査により、各門跡の場所や、城内の建造物の一部などが確認されている。

平成3年には三重櫓、平成6年には前御門が歴史資料や発掘成果をもとに復元され、往時の姿を偲ばせている。

https://www.city.shirakawa.fukushima.jp/page/page001390.html
白河小峰城

2013年 大河ドラマ「八重の桜」の会津若松でのロケ地

福島県内のロケ地

白河小峰城の広場

城のパンフレット

お城の庭園にある茶屋でコーヒーを飲みながらパンフレットを眺めました。

白河小峰城の茶屋
白河小峰城の茶屋のお茶
白河小峰城リーフレット表紙
白河小峰城リーフレット
白河小峰城リーフレット

地図