浪切不動院(長勝寺)の参詣記-歴史と見どころ紹介(千葉県山武市)成東

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不動院

不動院(ふどういん)。千葉県山武市成東にあります。

海からは多少離れています。

浪切の名の通り、昔は近くまで海があったということなのですが、本当でしょうか…と思えるほど、海の気配がありません。

千葉県の太平洋側の古代海岸線は、今よりはるかに内陸側にありましたので、近くまで海があったのは確かです。

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さて、真言宗智山派の寺院で、山号は成東山。寺号は長勝寺。

元々は下横地村(現在の山武市下横地)にあった円頓寺の末寺です。

標高30mの石塚山(石塚の森)の中腹の岩石上に本堂があります。

石積みの基壇の上に26本の柱によって支えられています。

天平3年(731年)行基が東国巡錫の折、不動明王の尊像を刻み海難除けを祈願し開基したとされます。

平安時代の初め、弘法大師が関東教化の折、現在の場所に移し建立して民衆救護のため大護摩を催し民福増進の秘法を行ったとされます。

本堂の創建年代について明確な記録はありません。

改修に当たって発見された棟札に元和4年(1618年)と記されていたと伝えられています。

現在の本堂の建立時期は少なくとも江戸時代初期にまで遡ると考えられます。

その後何度か本堂の改修が行われ、明治以降も明治45年(1912年)と昭和30年(1955年)に改修が行われました。

昭和49年(1974年)には基礎石積工事が完成し、懸崖造りの維持保存がされました。

本堂には、不動明王と「こんがら」「せいたか」の二童子が安置され、浪切不動院と呼ばれています。

現在は海岸が後退したため海上からは見えませんが、遭難しそうになった船が常夜灯の灯りによって救われたという逸話も残されています。

なお本寺の円頓寺は大同4年(809年)に橘諸兄の末孫日和大膳太夫景吉が建立したとされる古刹です。

一旦廃絶し建治3年(1277年)に再興されました。

天和年間(1681年-1684年)には荻生徂徠が朱子学の基本書ともいえる「四書大全」を学んだところと言われます。

しかし明治維新で再び廃絶し現在は公民館になっています。

成東下町の標高30メートルの小丘「石塚山」(石塚の森)の中腹の岩石上に、成東山不動院長勝寺本堂が建てられている。
入母屋造りの瓦葺き、間口三間、奥行四間、欄干・回廊をめぐらした、朱塗りの懸崖造りの堂宇である。昭和49年の修復工事によって、石積みの基壇が作られ、その上に、本堂内陣まで貫通している通し柱2本を含めて、26本の柱によって支えられている。
寺伝の縁起書によれば、不動尊本尊の由来は、天平年間に行基菩薩を造作したところのものと伝えられているが、当本堂の創建年代は不明である。改修に当たって発見された当院棟札に元和4年(1618年)と記されていたと伝えられており、現在の本堂の建立時期は、少なくとも江戸時代初期にまで遡る建造物と考えられる。
その後元禄13年(1700年)結城藩領になってからの元禄年間(から1703年)と、明和3年(1766年)と本堂の改修が行われた。
明治以降になってからは、明治45年(1912年)、昭和30年(1955年)と本堂の改修が行われ、同49年(1974年)には基礎石積工事が完成し、懸崖造りの維持保存に努めている。本市では数少ない江戸期の木造建築物ということができる。

引用元:千葉県山武市公式ホームページ
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浪切不動の概要

項目内容
山号成東山
院号
正式名成東山不動院長勝寺
開基行基…天平3年
宗派真言宗智山派
本尊不動明王
備考別称 浪切不動
札所等 新上総国三十三観音霊場第三十二番

文化財

県指定天然記念物:石塚の森
市指定文化財:本堂(不動堂)

地図

所在地: 〒289-1326 千葉県山武市成東2551
電話: 0475-82-2176

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