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猿田神社の参詣記-歴史や見どころは?(千葉県銚子市)猿田彦大神が降り立った神社

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猿田神社(さるだじんじゃ)は千葉県の銚子市にある神社です。

猿田彦大神(サルタヒコ)を祭神とする神社の一社です。

サルタヒコを祭神とする神社は各地にあり、猿田彦神社の名が付くことが多いようです。

猿田神社もサルタヒコを祭神としますが、猿田彦神社の名ではありません。

アクセスですが、電車で東京駅から約2時間30分です。

JR総武本線「猿田駅」より徒歩約5分ですが、電車は1時間に1本なので、電車の場合は注意が必要です。

猿田神社に行くのは車がおススメです。

一の鳥居近くに駐車場が整備されています。裏の奥宮近くにも多くの駐車場が用意されています。

泊まりで参拝されるのでしたら、銚子駅周辺か佐原駅周辺が便利だと思います。

銚子駅周辺であれば犬吠埼灯台屏風ヶ浦を見て、街中で魚料理を楽しむのもオススメです。

佐原駅周辺でしたら、小江戸の佐原鹿島神宮香取神宮息栖神社の東国三社巡りをするのがオススメです。

初詣で参拝したことがありますが、天気も良い日で、思ったより混雑しておらず、清々しい気持ちで初詣を終えました。

宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。
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猿田神社(さるだじんじゃ)の神様

主祭神は猿田彦大神(サルタヒコ)、天鈿女命(アメノウズメ)、菊理媛命(ククリヒメ)の三柱です。

中でも神社に名になっており、降臨したとされるサルタヒコは、格別かもしれません。

サルタヒコ

サルタヒコは天孫降臨の際に、邇邇芸命(ニニギ)を道案内した国津神です。

サルタヒコとニニギが出会うのは、天と地の分かれ道である「天の八衢(あめのやちまた)」です。猿田神社のある千葉県には八街市(やちまた)があります。

サルタヒコは進むべき道を照らす、道開きの神として崇敬されています。

三重県の鈴鹿市にある椿大神社がサルタヒコを祀る神社の総本宮と言われています。

アメノウズメ

一緒に祀られているアメノウズメは、日本最古の踊り子とされます。

アマテラスが天岩戸に閉じこもった際に踊りを踊って天岩戸を開くきっかけを作りました。

天孫降臨の際に、サルタヒコに問いかけ、その後、サルタヒコの妻になった女神です。

おかめ(お多福)のモデルとも言われます。

サルタヒコとアメノウズメが一緒に祀られている神社はそれほど多くはないようです。

ククリヒメ

ククリヒメはイザナギとイザナミを仲直りさせた縁結びの神様として知られます。

全国の白山神社に祀られる白山比咩神(シラヤマヒメノカミ)と同一神とされます。

ククリヒメがサルタヒコとアメノウズメと一緒に主祭神として祀られている理由がよく分かりません。つながりが分からないからです。

猿田神社のご利益

猿田神社は古くから八方除けなどで信仰されています。

家内安全・商売繁盛・八方除・交通安全・開運招神・心願成就にご利益があるとされます。

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猿田神社の見どころ

猿田神社は人代になって第11代・垂仁天皇25年11月25日の創建とされます。

この時代、周辺には香取海が広がっていました。神功皇后の時に生田神社の摂社になりました。

大同2年(807年)に社殿を造営。康平年間(1058年 – 1065年)に源頼義が神田を寄進しました。

鎌倉時代以降になると、源頼朝も寄進し、武家の信仰が篤かったと伝わっています。

また、下総・上総・常陸にわたる476ヶ村の総氏神として崇敬されました。

戦国時代には最後の古河公方・足利晴氏が金印を奉納し、当時のものという印が現存しています。

戦国時代には数度社殿が焼失し、現本殿は延宝8年(1680年)に改築されたものです。

天正19年(1591年)には徳川家康も朱印地30石を寄進しました。

一の鳥居から二の鳥居まで

道路に面している一の鳥居。奥に二の鳥居が見えます。

二の鳥居

二の鳥居をくぐると階段になりますが、なぜ階段になっているのかがすぐにわかりました。

下に線路が走っているのです。

先神橋というJR総武本線をまたぐ橋です。

1897年(明治30年)総武鉄道が銚子まで開通したときに、参道を分断してしまうことになったため、鉄道会社が造った橋です。

猿田神社の森

猿田神社の森は、社叢として保護され、県環境保全地域に指定されています。

一帯は千葉県の天然記念物にも指定されています。

境内風景

手水舎

神輿舎

拝殿と本殿

神紋は月に三ッ星の「月星紋」です。下総の名家・千葉氏の紋が月星紋です。

本殿へ左側から。

本殿の周囲には手摺の付いた縁側がめぐらされています。

本殿は、正面3間、側面2間の三間社流造(さんげんしゃながれづくり)です。

屋根は檜皮葺屋根です。棟に千木、勝男木をおき、正面に唐破風の向拝が付けられています。

江戸時代初期に九十九里沿岸のイワシ漁が盛んなころに建造されたものです。

千葉県指定有形文化財

猿田神社本殿 一棟附棟札一枚

所在地 銚子市猿田町1677番地 猿田神社

昭和30年12月15日指定

猿田神社は、社伝によると平安時代初期の大同2年(807)社殿が建立され猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)、天細女命(あめのうずめのみこと)、菊理姫命(くくりひめのみこと)を祀っている。

この本殿は、正面三間、側面二間の三間社流造りで、檜皮葺の屋根の棟に千木勝男木を置き、正面に唐破風の向拝がつけれれている。周囲には、高欄つきの縁をめぐらし、正面三間に両開き桟唐戸を用い、両側面と背後に狐格子をはめている。

本殿内部は、一間通りを外陣とし、後部一間通りは外陣より一段高くして内陣とし、三基の宮殿を安置している。また天井、側壁の彩色画や向拝・虹梁・持送り・手挟等の籠彫りには、豪壮で華麗な桃山時代の特色がよくあらわされている。そして、蟇股に表現されている十二支の彫刻は、方位盤に基づいて社殿に刻まれている。

今の本殿は、棟札によれば、延宝8年(1680)の建立である。

平成21年3月24日 銚子市教育委員会

本殿後ろ

旧本殿礎石

本殿の右手から

力石

御神水

神社を出て奥宮へ向かう途中に「本当」のお水取りができるところがあります。

摂社・末社

元宮方面案内図

拝殿に向かって右手に車のお祓い所があり、坂を下ると鳥居があります。

鳥居をくぐって左手に歩いていくと、奥宮と元宮があります。

御砂取り、御水取り

鬱蒼とした下り坂を下った先にあります。

さらに下ると見えてくるのが奥宮と御神水の池です。きれいではないのが残念。

親鸞聖人の旧跡の碑が建っています。親鸞はこの地で何をしていたのでしょうか…

元宮と猿田彦大神が降り立った地

元宮

降臨の地。ここに猿田彦大神が降り立ったと言われています。

猿田彦大神(サルタヒコ)は天孫降臨の際に、ニニギ(邇邇芸命)を道案内した国津神です。

猿田彦を祖先とする猿田氏が常陸国にいたとされますので、常陸国に比較的近いこの地に猿田氏がいたのかもしれません。

猿田氏は常陸国のほかに、下総国、常陸国、上野国、羽後国にも広がっていたそうです。

猿田神社は天孫降臨に関係する神社です。

近隣に天孫降臨の前段階である国譲りに関係する神を祀る鹿島神宮香取神宮があります。

旧下総国には日本神話にちなんだ神社や地名が点在していますので、巡るのもオススメです。

猿田神社の概要

項目内容
創建垂仁天皇25年
主祭神猿田彦大神
天鈿女命
菊理媛命
社格等古代社格制度
中世社格制度
近代社格制度
現代の制度
その他
備考本殿の様式:流造
例祭:11月15日
主な神事:式年大祭神幸祭

文化財

指定内容
国指定国宝
重要文化財
登録有形文化財
県指定有形文化財猿田神社本殿附棟札1枚
市指定有形文化財
国指定
県指定猿田神社の森
市指定
国指定
県指定猿田神社の森
市指定

住所と地図

所在地: 〒288-0855 千葉県銚子市猿田町1677−1
電話: 0479-33-0362

熊野神社

一の鳥居を正面にすると、左側の三叉路に熊野神社があります。猿田神社との関係は分かりませんでした。