日蓮宗の大本山。日蓮聖人入滅の霊場として日蓮宗の十四霊蹟寺院のひとつとされます。七大本山のひとつにも挙げられます。
身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡)を総本山とし、大本山は下記の通りです。
最寄りは東急池上線の池上駅です。池上線は蒲田と五反田を結んでいますが、そもそもは池上本門寺のために作られた路線でした。
駅を降りてから参道まで少し歩きますが、途中にはくず餅で有名な浅野屋などが並んでいます。
お会式の時期は、蒲田駅も装飾を変えて賑やかで混んでいますが、時期を外せは静かなお寺です。
池上本門寺の見どころ
総門
元禄年間(1688~1704)の建立と伝わります。ケヤキづくり。
「本門寺」と刻された扁額は寛永の三筆の一人本阿弥光悦の筆によるもので、現在掲げられている額は複製です。
石段
総門をくぐるとある石段。池上本門寺の表参道96段の石段坂です。法華経宝塔品の偈文の96文字に由来します。
慶長年間に加藤清正が寄進したものと伝えられています。
加藤清正を描いた歴史小説
日蓮聖人像(説法像)
宗祖七百遠忌記念。昭和58年に富山県新湊市の黒谷美術株式会社より奉納されました。
長栄堂
日蓮聖人が佐渡配流中に、守護神となった長栄大威徳天を祀っている御堂です。
当山の守護神として安置し奉る長栄大威徳天は、その昔高祖日蓮大菩薩、佐渡島御配流中、塚原三昧堂にて日夜法華経御読誦の折柄、初めて白髪の翁と現れ、法華経の行者を守護し別て海上安全諸縁吉祥の守護を成さんと誓い給い、高祖御生涯の間影身に添いて守護し、神変不思議の通力を現じ給う。 高祖当山にて入滅の後は長栄山の名の如く長栄大威徳天と仰がれ永く此の山に留まって末法萬年の末までも法華経の信者行者を守護すべしとて無料の神力を以って済度し給える尊神なり。 それば今日に至るまで威徳いよいよ広大にして一山益々栄え信仰帰依の人々を守護利益を蒙らずということなし
仁王門や大堂(祖師堂)
仁王門
大堂正面に建つ二重門。旧国宝の山門は、1945年(昭和20年)空襲で焼失。仁王門として1977年(昭和52年)に再建された。
鐘楼
旧梵鐘は、1647年(正保4年)加藤清正の娘で、徳川頼宣の室となった瑤林院が寄進。現在の鐘楼は、1958年(昭和33年)の再建。
大堂
日蓮を祀ることから「祖師堂」ともいう。旧大堂は、本門寺14世日詔の時代の1606年(慶長11年)加藤清正が母の七回忌追善供養のため建立したが、1710年(宝永7年)焼失。本門寺24世日等時代の1723年(享保8年)8代将軍徳川吉宗の用材寄進により、規模を縮小の上再建された。この2代目の大堂は、1945年(昭和20年)4月の空襲により焼失。1948年(昭和23年)仮祖師堂と宗祖奉安塔を建設。その後、本門寺79世伊藤日定が中心となり全国檀信徒の寄進を受け、1964年(昭和39年)現在の大堂を再建した。
前田利家室層塔
前田利家婦人で、加賀藩三代藩主利常の母・寿福院の逆修供養塔で、元和八年(1622年)に造立。もとは十一層でしたが、今は五層のみです。
五重塔
空襲による焼失をまぬがれました。
江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局(大姥局)(正心院日幸尼)の発願により、1608年(慶長13年)に建立されています。
経蔵
空襲による焼失をまぬがれました。
輪蔵形式の内部に回転する八角形の書架があり、天海版一切経が収められていました。現在は別途保管されています。
1784年(天明4年)に建立。
宝塔
日蓮の荼毘所と伝えられる場所に建っています。
新編武蔵風土記によると、この地にはかつては2間に3間の灰堂があり、当初、本門寺の開基檀越である池上宗仲が宝塔を作って、日蓮の遺灰を中に盛って奉安したと伝えられています。
宗祖の550 回遠忌に際し、信徒の本願により、文政11 年(1828)に上棟。
平成22年12月に国の重要文化財に指定。
池上本門寺の概要
山号 | 長栄山 |
宗派 | 日蓮宗 |
寺格 | 大本山 |
本尊 | 三宝尊 |
創建 | 1282年(弘安5年) |
開山 | 日蓮 |
開基 | 池上宗仲 |
地図や住所
〒146-8576 東京都大田区池上1-1-1
03-3752-2331(代)
塔頭
最盛期には塔頭が36寺院ありましたが、現在は本門寺を含め24寺が残っており、「朗師講」と呼ばれています。
池上三院家
- 長崇山本行寺:池上大坊顕の字法縁
- 朗慶山照栄院:池上柳嶋法縁
- 妙祐山理境院:池上芳師法縁