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戦国時代

歴史上の人物

立花宗茂とは?豊富秀吉から忠義も剛勇も鎮西一と称えられた武将

立花宗茂(たちばな・むねしげ)略歴 永禄11年(1568)~寛永19年(1642)。74才。安土桃山時代から江戸時代前期の大名。 初名は宗虎、その後、統虎、鎮虎、正成、俊正、経正。剃髪後、立斎と号しました。 筑前岩屋城主・高橋紹運の長男で、...
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高橋紹運とは?雷神・立花道雪と並んで風神と称された武将

高橋紹運(たかはし・じょううん)略歴 天文17年(1548)~天正14年(1586)。39歳。戦国時代の武将。 名は鎮種(しげたね)。通称は孫七郎、官途は主膳正。入道して紹運。三河守。大友氏の年寄・吉弘鑑理(よしひろ・あきただ)の次男。 実...
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立花道雪とは?鬼道雪と呼ばれた大友家の軍神

永正13年(1516)~天正13年(1585)。70歳。戦国時代の武将。 立花道雪で知られますが、生涯で立花姓を使ったことはありません。 戸次鑑連(べっき・あきつら)。幼名は八幡丸。号は道雪。戸次親家の子。 娘に誾千代、誾千代の夫に高橋紹運...
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剣聖・塚原卜伝とは?生涯負けを知らなかった鹿島新当流の祖

塚原卜伝は戦国時代の剣豪、兵法家です。剣聖と呼ばれます。鹿島新当流(新当流、卜伝流、墳原(つかはら)卜伝流など)の始祖。卜伝の伝記は巷説が多く、生没年に諸説あることからも明らかではありません。
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丸目蔵人佐長恵とは?「タイ捨流」を興した剣豪

丸目蔵人佐長恵(まるめ・くらんどのすけ・ながよし)はタイ捨(たいしゃ)流の創始者として知られる剣豪です。通称は蔵人佐(くらんどのすけ)、または石見守。丸目蔵人(まるめ・くらんど)の名で広く知られます。
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上泉伊勢守信綱とは?「剣聖」新陰流を興した関東(上野国)の武人

「剣聖」と呼ばれる関東の武人・上泉伊勢守信綱。新陰流の祖。読みは「かみいずみ」または「こういずみ」。居城のあった前橋市上泉町は「かみいずみ」。「言継卿記」には大胡武蔵守または上泉武蔵守信綱で出ている。

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直江兼続とは?「愛」の兜の前立を持つ上杉家の智将

直江兼続は兜の前立には「愛」の文字が飾られた。珍しい前立てである。だが、この「愛」の意味は、現代的な、相手を慈しむといった意味や、相手のためを思って願うなどといったものではない。
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