佐伯泰英の「酔いどれ小籐次留書 第11巻 偽小籐次」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

シリーズ第十一弾。

題名のとおり「偽」小籐次が現われる。その目的は一体何なのか?そして、偽小籐次の正体とは?

この偽小籐次事件には御鑓拝借騒動の一件が絡んでくる。未だに御鑓拝借騒動が小籐次の身に平安な時をもたらせてくれない。

だが、小籐次とおりょうの関係に新たな進展が見られることで、小籐次の身にも平安な時がおとずれるのも間近なのかもしれない。

今回は江戸町年寄の樽屋与左衛門が自裁した話しから始まる。

町年寄は現在の都知事と警視総監を併せ持つような町奉行の補佐として、町触れの伝達事務を行っている。江戸の町は町奉行以下、町年寄、名主、月行事という支配系統になっている。

町年寄は町奉行の下で町方の支配にあたり、町の下情を町奉行に上申する役割を果たした。つまりは、江戸町人の筆頭であり、最上位の存在であった。

樽屋、奈良屋、喜多村の三家が世襲で勤めた。奈良屋は館(たち)、樽屋は樽(たる)の姓を名乗る。

もう一人、物語には直接影響はしないのだが、この時期の重要な人物として杉本茂十郎が登場する。

杉本茂十郎は菱垣廻船と樽廻船の主導権争いの中で台頭してきた人物であり、十組問屋を再編成して三橋会所頭取になった江戸経済界の大立者である。

文化文政期、江戸での必需品の多くは大坂に依存しており、その物流は十組問屋が取扱っていた。だが、その組織が弱体化しており、幕府は十組問屋強化のため、菱垣廻船問屋に力を入れていた。

この当時、樽廻船を使う業者も多く、菱垣廻船と樽廻船との間に協定が結ばれ、それぞれが運ぶ品物を決めていた。

しかし、樽廻船と菱垣廻船を巡る争いが再浮上し、この争いの中で仲介にたったのが定飛脚問屋の大坂屋茂兵衛だった。大坂屋茂兵衛は十組問屋と深い繋がりが出来、杉本茂十郎と改名する。

杉本茂十郎は文化六年(一八〇九)に町年寄の樽屋を後ろ盾に、十組問屋を再組織化して三橋会所を設立して頭取に就任。

やがて杉本茂十郎は立場を利用して米市場に手を出すようになる。本来は米価の安定を目的としたはずのものを投機に利用し始めるのである。

さらに江戸伊勢町に米会所を置き、杉本茂十郎は三橋会所頭取と米会所頭取を兼ねることになる。

しかし文政二年(一八一九)。杉本茂十郎は失脚することになる。

この失脚と同時に十組問屋の勢力が衰え、樽廻船側が菱垣廻船の領分に進出してくるようになる。その後、菱垣廻船問屋の数は減り、ついに勢いを取り戻すことはなかった。

幕末・明治になると、蒸気船が廻船に取って代わり、廻船自体が姿を消すことになる。

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内容/あらすじ/ネタバレ

江戸町年寄の樽屋与左衛門が公金を使い込んで自裁して果てた。

その朝、赤目小籐次は朝寝を駿太郎と楽しんでいた。竹藪蕎麦の倅縞太郎と女郎おきょうの仲人を務めた後のことである。

小籐次は久慈屋の番頭観右衛門、小僧の国三とともに掛取りに出かけた。

途中の愛宕権現社の石段で、その昔曲垣平九郎が馬で駆け上がったのと同じく、馬で駆け上がろうと挑戦する若武者と出会う。若武者は石見浜田藩松平家家臣板鳥新吾と名乗った。

掛取りを終え、国三は背に数百両を背負って帰ることになった。

道々、樽屋の自裁の話しになった。

樽屋が公金に手をつけなければならなかった理由は、幕府が三橋会所と伊勢町米会所を廃止する触れを出して、頭取の杉本茂十郎を追放した件と関わりがあると観右衛門は語った。

今回の騒ぎのもとは、幕府が杉本茂十郎の商才に頼りすぎたことである。その結果、米の価格の調整機関としていたものを、投機の手段に替えてしまったのである。

この杉本の後ろ盾になっていたのが樽屋与左衛門だったのである。

大損をしたのは、樽屋だけではなかった。大名家や大身旗本も運用の利益を見込んでだいぶ投機しているらしい。

越中富山藩前田家での掛取りが終わり、その帰り道。

桜田堀に出没すると噂のある大河童に遭遇した。だが、これは大凧であった。

それを見破った小籐次らを、浪人剣客が取り囲んだ。国三の背負っている小判が狙いなのである。

小籐次は金杉名物草餅を二十ほど買い込んで旗本五千七百石の水野監物下屋敷を訪ねた。北村おりょうのご機嫌伺いに行こうと思ったのである。

屋敷には水野監物と奥方の登季もいた。小籐次は馳走になり、泊まることになった。

おりょうが小籐次に改まって聞いて欲しいことがあるという…。

夢の一夜が過ぎて、小籐次は水野家下屋敷を辞した。その足で、久しぶりに久留島家の様子を見ようと思った。

長屋に戻ってみると、えらい騒ぎになっていた。それは勝五郎が彫った読売のせいである。勝五郎は桜田堀の大河童事件を大仰に書き立てたからである。

長屋から逃げ出した小籐次は備前屋に向かった。そこで小籐次の偽者の話が出てきた。下谷広小路付近で偽者が研ぎの商売をしているというのだ。

小籐次は難波橋の秀次を訪ねた。

小籐次が長屋に戻ると、赤穂藩家臣・古田寿三郎と肥前小城藩家臣・伊丹唐之丞が待っていた。二人とは御鑓拝借騒ぎ以来の付き合いである。

二人は大河童の読売を読んだかと小籐次に訪ねた。小籐次は読んでいなかった。その読売には御鑓拝借に関することも書かれており、それで
二人は訪ねてきたというのである。

伊丹唐之丞は国許から江戸に出てきた鍋島分家の鍋島直篤のことを話した。

小籐次はこの度の偽者の一件といい、たびたび刺客に襲われていることといい、どうやら小城藩が絡んでいるとしか思えないでいる。

小籐次は円太郎親分が偽小籐次を見かけたという北大門町を訪ねた。そして、偽小籐次のひどい研ぎ仕事に騙された料理屋で小籐次は庖丁を研ぎ直した。

長屋に戻ると、次直と金が盗まれていた。偽小籐次の仕業に間違いない。

その偽小籐次の身許が秀次によって判明した。北堀五郎兵衛というらしい。これを伊丹唐之丞に調べて貰おうと考えた。だが、伊丹自身にも危険が及んでいることが判明した。

そうこうしている間に、次直で人斬り事件が起きた。斬った者は赤目小籐次を名乗っていた…。

小籐次が姿をくらましていた。勝五郎や読売屋の空蔵らが心配して行方を探していた。

その小籐次は伊丹唐之丞とともに吉原にいた。人斬りが行われた時分はずっと吉原にいたのである。ともに時を過ごしたのは、清琴太夫と出羽本庄藩藩主・六郷阿波守正純であった。歴代の六郷の殿様の遊び上手で知られる殿様である。

これを聞いた空蔵の反撃が始まった。

小籐次は北村おりょうと一緒に鎌倉への道を歩いていた。おりょうが実父・御歌学者北村舜藍の代役として、鎌倉建長寺天源院で催されるお歌合わせの詠み人の一人を務めるため、同行しているのだ。

本書について

佐伯泰英
偽小籐次
酔いどれ小籐次留書11
幻冬舎文庫 約三〇〇頁
江戸時代

目次

第一章 掛取り
第二章 おりょうの決断
第三章 和泉橋の野良犬
第四章 辻斬り
第五章 地蔵堂の闇

登場人物

赤目小籐次
駿太郎
北村おりょう…旗本水野監物の女中
水野監物…旗本
登季…監物の奥方
清琴太夫
久慈屋昌右衛門
観右衛門…久慈屋大番頭
おやえ…昌右衛門の娘
浩介…手代
国三…小僧
おまつ…女衆
菊蔵…足袋問屋京屋喜平の番頭
円太郎…職人頭
空蔵…読売屋の鼠のほら蔵
勝五郎…版木職人
おきみ…勝五郎の女房
新兵衛…長屋の差配
お麻…新兵衛の娘
お夕…お麻の娘
桂三郎…お麻の旦那
うづ…野菜売り
備前屋梅五郎…畳職
神太郎…梅五郎の倅
難波橋の秀次…御用聞き
銀太郎…手先
近藤清兵衛…南町定廻り同心
高堂伍平…久留島家用人
おかつ
軽部助太郎
古田寿三郎…播磨国赤穂藩お先頭
伊丹唐之丞…肥前小城藩藩士
鍋島直篤…鍋島分家
北堀五郎兵衛
板鳥新吾…石見浜田藩松平家家臣
寒河江八兵衛…大和小泉藩用人
権蔵
佐宗田多聞…鹿島一刀流
越五郎親分
六郷阿波守正純…出羽本庄藩藩主
新免亀千代
千利宋

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