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本佐倉城の訪城記-歴史や見どころとは?(千葉県印旛郡酒々井町)千葉氏最期の本拠地[国の史跡]

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最寄り駅は京成酒々井駅です。

酒々井は「しすい」と読みます。

読めませんよね〜。

さて、京成酒々井駅から歩いて15分くらいでしょうか。

実は、京成線の車窓からも城趾見えるのですが、わからないと思います。

単なる盛り土にしか見えないかもしれません。

電車から見られる国指定の史跡はそんなにないと思います。

せっかくなので、看板出せばいいのに、と思います。

宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。
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本佐倉城の歴史

本佐倉城(もとさくらじょう)は1998年(平成10年)9月11日に「本佐倉城跡」として国の史跡に指定されました。

続日本100名城
続日本100名城とは 続日本100名城(ぞくにほん100めいじょう) 財団法人日本城郭協会が2017年に定めた名城の一覧。同協会の設立50周年の記念事業の一環。 2006年に発表された日本100名城に続くもの。 続日本100名城一覧 志苔館...

車で行く場合、城跡そばの駐車場までは、車がすれ違えないような農道を走っていかなければならないので、お気をつけて。

本佐倉城は将門山に築かれた城です。

将門山というくらいなので、平将門に関係する場所です。この周辺は平将門の地盤の一つでした。

本佐倉城は下総守護千葉氏が文明年間(1469~1486)に築城し、天正十八年(1590)に豊臣秀吉に滅ぼされるまで関東有数の大名千葉氏の居城でした。

千葉氏は享徳三年(1454)に始まる関東の戦乱によって千葉(現千葉市中央区)の城を捨て、新たな城を印旛沼に面した交通の拠点である「佐倉(現酒々井町本佐倉)」に移しました。

16世紀前半には城下町も整い、本佐倉城は下総の政治・経済・軍事・文化の中心として繁栄します。

天正十八年(1590)年、豊臣秀吉が小田原を攻めると、北条氏の支配下に入っていた千葉氏も共に滅亡、本佐倉城は徳川家康の支配となりました。

現在でも本佐倉城跡は大規模な空堀・土塁・櫓台に守られた郭群などが明瞭に残っており、戦国時代の息吹が感じられます。

平成10年9月には重要な文化財として国指定史跡となり、その保存整備が進められています。

https://www.town.shisui.chiba.jp/static/chunk0001/road_and_guidepost/motosaku/motosaku.html

城の近くに貝塚があります。古代から周辺に人が住んでいたことがわかります。すぐそばまで香取海が広がっていたのです。

千葉氏後期の本拠地

この城は千葉氏の最期の城になりました。千葉氏は桓武平氏の下総の豪族です。

坂東八平氏・関東八屋形の一つに数えられ、守護大名・戦国大名となりました。

今の亥鼻城周辺に拠点を構えていましたが、内部分裂などを経て衰退し、拠点を本佐倉城に移しました。

第31代当主千葉重胤の時に、豊臣秀吉の小田原征伐で千葉氏は所領を没収され滅亡します。

千葉重胤は徳川家康に仕えましたが、後に浪人となります。

千葉氏の一族は東北地方で活躍しました。改姓した相馬氏や、千葉氏からの養子を迎えたとされる葛西氏が知られます。

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本佐倉城の見どころ

目の前に京成線が走ります

地図