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【式内社】意富比神社(通称は船橋大神宮)の参詣記-歴史や見どころは?(千葉県船橋市)船橋の由来の地も訪ねました

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意富比神社(おおひじんじゃ)、通称は船橋大神宮(ふなばしだいじんぐう)です。

式内社。延喜式では葛餝郡意富比神社。

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意富比神社(おおひじんじゃ)の歴史

景行天皇40年、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東国征討の際に、干ばつに苦しんでいた住民のために天照皇大御神を祀り祈願したところ、雨が降り始めたとされます。

また、東国征討の祈念をしたともいわれています。

雨乞いから始まった神社ですが、祀っているのは太陽神というところが面白いです。

意富比(おおひ)という変わった社名の由来は諸説あります。

大火あるいは大炊の意で食物神とする説や、太陽を由来とする夕日や大日とする説、古代の有力豪族・意富氏の氏神とする説が有力のようです。

意富比(おおひ)神社は、船橋大神宮の名で知られる船橋地方最古最大の神社です。初出の文献は、平安中期の『日本三代実録』貞観5年(863)の記事で、「下総国意富比神」とあります。これは、船橋市域に関する文献として最古のものです。また平安中期の格式ある神社を記した『延喜式』(えんぎしき)の「神名帳」(じんみょうちょう)にも、下総国11社の中に「意富比神社」として載せられ、東国では数少ない「式内社」(しきないしゃ)でありました。
この意富比の語義と神格について古くは、「大炊」で食物神とする説があり、戦後は古代豪族オホ氏の氏神とする説などが出されました。その後、意富比の古い読みは「おほひ」であり、上代特殊仮名遣いの上から「日」は「比」等で表され、「火」は「肥」等で表される点を考慮し、さらに歴史的にみても意富比神社が古くから太陽信仰と深い関係をもっていたことを考察に加えて、意富比神は「大日神」すなわち「偉大な太陽神」が原義であるとする説(三橋健「意富比神考」)が登場します。つまり中世から幕末までは一般に「船橋神明」と称され、主祭神を天照皇大御神とする意富比神社も、原初は古代のこの地方最大の太陽神であったとするもので、現時点では最有力な説となっています。

https://www.oohijinja.jp/history.html

平将門、源頼朝、徳川家康などが社領の寄進や社殿の造営・改修をおこないました。

近代では明治天皇、大正天皇、昭和天皇などの歴代天皇も参拝に訪れています。

伊勢神宮との関係

一帯が伊勢神宮に寄進されて御厨(夏見御厨。船橋御厨ともいう)となり、伊勢神宮が分祀され「神明社」ができました。

場所は当社のあるところではなく、夏見台の日枝神社だとされます。

ですが、御厨の衰退とともに「神明社」が廃れ、意富比神社に合祀されることになります。

前記のように、当社は中世以降一般には船橋神明と呼ばれることが多かったようです。神明とは伊勢神宮を分祀した神社のことです。
すると、古代には当地方最有力の太陽神であった意富比神が、中世のある時期に伊勢神宮に同化したと想定されますが、そのあらすじは次のように想定されます。 —平安末期に近い保延4年(1138)に夏見を中心とする一帯が、伊勢神宮の荘園「夏見御厨(みくりや)」となった。実際には当地から伊勢神宮へ白布を貢納した。そうした関係から、当地には伊勢神宮が分祀され「神明社」ができたが、その御祭神は言うまでもなく、最高の太陽神である天照皇大御神であった。やがて地元の偉大な太陽神は、同じ太陽神である神明社に同化して船橋神明となり、船橋大神宮と称されるようになった。—

https://www.oohijinja.jp/history.html

古文書

中世の文書が多数保持されていましたが、明治維新時における船橋の戦いで社殿と共に焼失しました。もったいない…。

現存しているのは、千葉満胤の書状や「船橋御厨六ケ郷田数之事」という応長年間の文書など数点のみとのことです。

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意富比神社の見どころ

一の鳥居と参道

一の鳥居

社号標。延喜式内意富比神社と刻まれています。

参道

参道沿い

土俵

徳川家康が船橋に宿泊時、漁師の子供達の相撲を供覧したのが始まりと伝わります。

祭礼は10月19・20日に行われます。

その時の奉納の素人相撲(20日)は、「船橋のけんか相撲」として知られているとのことです。

二の鳥居

百度石。お百度参り用でしょうか。

神楽殿

遠方の左手に見えるのが神楽殿。広い広場を有しているのは、お祭りにとても便利です。

手水舎

拝殿

本殿

本殿のさらに奥にありますが…。

社務所

摂社・末社

常盤神社(摂社)

常盤神社には家康の歯を納めた家康木造が安置されています。

日本武尊と当社を庇護した徳川家康、徳川秀忠を祀っています。

鳥居
拝殿・本殿

大鳥神社

御祭神は日本武尊。

外宮など

向かって左手の豊受姫神社が外宮。

御祭神の豊受大神は、伊勢豊受大神宮(外宮)に御祀りされ、天照皇大御神のお食事を司られる神様で、五穀豊穣と衣食住の守り神様。

右手が八雲神社

外宮の左手には天之御柱宮。

裏参道沿い

拝殿に向かって左手に並んでいます。

水天宮
稲荷神社
神輿庫と境内社

神輿が二基納まっています。

向かって左に本町八坂神社の神輿、右に湊町八剱神社の神輿。

金毘羅社
八幡神社など

その他の参道

駐車場のある方。参道から見て右手。

裏参道。船橋駅から歩いてくると、こちらに出ます。

意富比神社の概要

社格等

古代社格制度式内社
中世社格制度
近代社格制度県社
現代の制度
創建景行天皇40年
主祭神天照皇大御神
配祀:万幡豊秋津姫命、天手力雄命
合祀:徳川家康、徳川秀忠
備考本殿の様式 神明造
例祭 10月20日

文化財

県指定

有形文化財 船橋大神宮灯明台

市指定

有形文化財 神楽

灯明台

灯明台は明治13年(1880)に完成した和洋折衷の建物。

木造瓦葺。3階建てで高さ12m程。現存の中では国内最大級の民間灯台とされます。

灯台ですので、海が近くまで来ていたことになります。

今とはだいぶ様子が違います。

海は一の鳥居の方向にあります。

つまり、本殿・拝殿の正面に海があります。

公式ページ

意富比神社 船橋大神宮 公式サイト
正式名を「意富比神社(おおひじんじゃ)」という当社は、通称「船橋大神宮」として長く船橋市民に愛されており、初詣には多くの人で賑わいを見せます。

地図

所在地: 〒273-0003 千葉県船橋市宮本5丁目2−1
電話: 047-424-2333

船橋の由来

意富比神社から船橋駅に向かって歩いていく途中で見つけました。

この川「海老川」が船橋の由来だそうです。

以前は「海老川」の川幅が広く、水量も多かったため、橋を渡すのが難しかったらしいです。

そこで、川に小さな舟を数珠つなぎに並べて上に板を渡し、橋の代わりにしたことから「船橋」という名がついたとされます。

千葉県の式内社