記事内に広告が含まれています。

七福神を巡る|港七福神

この記事は約4分で読めます。
スポンサーリンク

港七福神

1933年(昭和8年)の「麻布稲荷七福神詣」を始まりとしています。戦争の影響により1940年(昭和15年)で中断します。

1966年(昭和41年)に「港七福神めぐり」として再開しました。七福神に加え、宝船を含めた8カ所をめぐるのが特徴です。

宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。

寿老人 桜田神社

港区西麻布3-2-16

大黒天天 大法寺

港区元麻布1-1-1

宝船 十番稲荷神社

十番稲荷神社(じゅうばんいなりじんじゃ)は、もと末広神社(旧坂下町鎮座)および竹長稲荷神社(旧永坂町鎮座)です。

港区麻布十番1-4-6

両神社は、昭和20年4月15日に戦災に遭い焼失、昭和25年6月復興土地区画整理により、両社境内地を現在地に換地、隣接指定されました。その後両社は合併して社名を十番稲荷神社と改称し、平成9年3月29日、現社殿に建て替えられました。

https://www.jubaninari.or.jp/history.html

末広神社(すえひろじんじゃ)

慶長年間(1596~1615年)に創建され、元禄4年(1691年)には坂下東方雑式に鎮座していましたが、同6年永井伊賀守道敏が寺社奉行の時、坂下町41の社域に遷座されました。往古より境内に多数の柳樹があり、「青柳稲荷」と称されていましたが、後にその中の一樹の枝が繁茂して、扇の形をしていたことから「末広の柳」とよばれるようになり、社名に冠されて末広稲荷と称されました。その後、明治20年4月に末広神社と改称されました。

https://www.jubaninari.or.jp/history.html

竹長稲荷神社(たけちょういなりじんじゃ)

武蔵国の荏原郡の式内社・薭田神社(稗田神社)ということですが、薭田神社の論社は多く、ここがそうだ、という神社がありません。

ちなみに有力視されているのは5社で、そこに当社は入っていません。

有力視されている5社は下記の通りです。

創建は定かではありませんが、一説には和銅5年(712年)とも、弘仁13年(822年)に慈覚大師の八咫の神鏡を以て武蔵国豊島群竹千代丘(今の鳥居坂上)へ稲荷大神を勧請したとも伝えられています。延喜式内社の稗田神社と目されており、少なくとも10世紀初頭には鎮座していた古社と考えられます。その後、弘安2年(1279年)に鳥羽氏が社殿を再建、そして寛永元年(1624年)3月に永坂町に遷座されました。

https://www.jubaninari.or.jp/history.html

宝船

全国でもめずらしい「宝船」があるので八ケ所をまわる七福神です。

1月1日から15日まで、港七福神めぐりを実施しており、お正月行事のため、期間外は宝船に御朱印集め等に対応できません。

通常の御朱印の受付は下記の通り。

午前9:00~午後5:00(閉門)

※御朱印受付(通常期)10:00~12:00、13:00~16:30。

祭礼、繁忙期等は時間を変更する事があるとのことなので、十番稲荷神社のホームページで要確認。

祭神

毘沙門天 氷川神社

港区元麻布1-4-2

恵比寿 熊野神社

港区麻布台2-2

弁財天 宝珠院

港区芝公園4-8-55

布袋尊 久国神社社

港区六本木2-1-16

福禄寿 天祖神社

訪問時、改築中…というより、ビルを建設中のもようでした。

至徳元年(一三八四)八月十六日、飯倉城山に、はじめて祀られたと伝えられる。品川沖から毎夜、竜が灯明を献じたということから「竜燈山」といわれたとも伝えられる。元和年間(一六一五-二四)、江戸城郭改築のさいの社寺移転に伴い現在の地に鎮座、竜燈からとって、この地を竜土と呼ぶようになり、神社の名前も竜土神明宮と称えられる。将軍家、諸大名の尊崇篤く、江戸三カ所の神明の一つとして文、武と官の信仰が厚い。青山大火により社殿焼失、明治年間社殿等を再建されるが、昭和二十年五月の帝都大空襲により、手水舎一棟を残して焼失した。

http://tensojinja.tokyo-jinjacho.or.jp/

祭神

  • 天照大御神
  • 伊邪那岐命
  • 伊邪那美命

港区六本木7-7-7

スポンサーリンク

他の七福神一覧